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年表
西暦・年号 | 日本のできごと | 高槻のできごと | 高槻の遺跡 |
(旧石器時代) | 小集団でキャンプ生活をおくる | 郡家今城遺跡 (旧石器時代) |
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(縄文時代) | 土器発明、定住生活はじまる | ||
(弥生時代) | 北部九州に弥生文化成立 倭の奴国王、後漢に遣使 光武帝の印綬を受ける 邪馬台国に卑弥呼 |
三島地方で米づくりはじまる 丘陵上に大集落出現 |
安満遺跡 天神山遺跡 古曽部・芝谷遺跡 |
239 | 卑弥呼、倭国女王として魏に遣使 | ||
(古墳時代) | 倭の五王、中国へ遣使 大和政権の成立 |
三島地方に古墳つくられる | |
531 | 継体大王没す | 今城塚古墳 | |
538 | 百済から仏教伝来 近畿地方の前方後円墳づくり、やむ |
昼神車塚古墳 | |
593 (推古天皇元年) | 聖徳太子、摂政になる | ||
600 (推古天皇8年) | 遣隋使おくる | ||
645 | 大化の改新 | ||
652 | 難波宮完成 | 阿武山古墳 | |
672 | 壬申の乱 | ||
701 大宝元年 | 大宝律令できる | 嶋上郡衙跡 | |
710 和銅3年 | 平城京へ都をうつす | ||
743 天平15年 | 墾田永年私財法 | 上田部遺跡 (奈良時代) |
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757 天平勝宝9年 | 東大寺、梶原寺へ瓦を発注 | 梶原瓦窯跡 | |
762 天平宝字6年 |
御史太夫石川年足没し、真上の丘陵に葬られる |
郡家今城遺跡 (奈良時代) 金銅 石川年足墓誌 |
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775 宝亀6年 | 長岡京に都をうつす | このころ開成皇子、安岡寺・神峯山寺・本山寺を創建 | |
784 延暦3年 | 参議阿部兄雄、安満寺(のちの金龍寺)を創建 | ||
794 延暦13年 | 平安京に都をうつす | ||
894 | 遣唐使を廃止 | ||
905 延喜5年 | このころ服部神を神服神社と改める | ||
968 安和元年 | 藤原氏の摂関政治全盛 | 僧千観、安満寺を金龍寺と改め隠棲 | 金龍寺跡 |
1086 応徳3年 | 白河上皇の院政はじまる | ||
1167 仁安2年 | 平清盛、太政大臣になる | ||
1185 文治元年 | 屋島・壇ノ浦の戦い 平氏滅ぶ | ||
1192 建久3年 | 源頼朝が征夷大将軍になる (鎌倉幕府開府) 北条氏の執権政治はじまる |
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1221 承久3年 | 承久の乱 | 宮田遺跡 | |
1274 文永11年 | 文永の役(蒙古襲来) | 上田部遺跡 (鎌倉時代) |
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1281 弘安4年 | 弘安の役(蒙古襲来) | ||
1333 元弘3年・正慶2年 | 鎌倉幕府滅亡 建武の親政(1334-36)、南北朝分裂 |
入江春則高槻城に入る | |
1338 延元3年・暦応元年 | 足利尊氏、征夷大将軍になる(室町幕府開府) | ||
1392 元中9年・明徳3年 | 南北朝の合一 | ||
1404 応永11年 | 日明貿易が始まる | ||
1467 応仁元年 | 応仁の乱(-1477) | ||
1476 文明8年 | 本願寺8世蓮如、富田道場(のちの教行寺)創建 | 教行寺跡 | |
1515 永正12年 | このころ細川高国、芥川北方山中に新城築城 | 芥川城跡 | |
1532 天文元年 | 法華一揆、富田道場など焼き討ち | ||
1543 天文12年 | 種子島に鉄砲伝来 | ||
1549 天文18年 | フランシスコ・ザビエル、キリスト教伝える | 三好長慶、芥川西の川原で細川晴元軍を撃破 | |
1553 天文22年 | 三好長慶、芥川城入城 | ||
1559 永禄2年 | 真上・郡家の水論起こり、三好氏が裁定 | ||
1560 永禄3年 | 桶狭間の戦い | ||
1563 永禄6年 | 細川晴元、普門寺にて没す | 普門寺城 | |
1564 永禄7年 | 三好長慶、河内飯盛山で没す | ||
1568 永禄11年 | 織田信長、摂津を平定 | 和田惟政、芥川城主となる | |
1569 永禄12年 | 惟政、高槻城主となり、高山飛騨守・右近父子芥川城主へ | ||
1571 元亀2年 | 惟政、池田氏と白井河原の戦いで敗死 和田惟長、高槻城主 |
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1573 元亀4年 | 高山父子、惟長追放、荒木村重に属する | ||
1573 天正元年 | 室町幕府滅亡 | ||
1574 天正2年 | 高山飛騨守、高槻城内に天主教会堂を建立 | 高山右近高槻天主教会堂跡 | |
1578 天正6年 | 村重謀反 信長安満に布陣、右近投降 | ||
1581 天正9年 | 右近、巡察使ヴァリニァーノを迎え高槻で復活祭 | キリシタン墓地 | |
1582 天正10年 | 本能寺の変、信長没す 山崎の戦い 太閤検地はじまる |
右近、セミナリオ建設 | |
1583 天正11年 | 豊臣秀吉、大阪城築城開始 賤ヶ谷の戦い |
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1585 天正13年 | 右近、明石へ転封 豊臣秀吉、高槻を直轄 |
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1586 天正14年 | 豊臣秀吉、関白になる | ||
1587 天正15年 | バテレン追放令 | 右近、明石より追放、加賀前田家へ | |
1590 天正18年 | 秀吉、全国統一 | ||
1592 文禄元年 | 文禄の役(朝鮮侵略) | ||
1595 文禄4年 | 新庄直頼、高槻城主になる | ||
1597 慶長2年 | 慶長の役(朝鮮侵略) | ||
1600 慶長5年 | 関ヶ原の戦い | 直頼西軍として徳川方と戦う | |
1601 慶長6年 | 徳川家康、高槻を直轄 | ||
1603 慶長8年 | 家康征夷大将軍になる (江戸幕府開府) |
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1609 慶長14年 | 淀川大塚堤決壊 | ||
1614 慶長19年 | 大坂冬の陣 | 右近、ルソン(フィリピン)へ追放 | |
1615 元和元年 | 大坂夏の陣 豊臣家滅亡 | 内藤信正、高槻城主になる | |
1617 元和3年 | 土岐定義、高槻城主になる 高槻城修築、近世城郭出現 |
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1619 元和5年 | 松平家信、高槻城主になる | ||
1636 寛永13年 | 岡部宣勝、高槻城主になり、出丸を築く | ||
1637 寛永14年 | 島原の乱 | ||
1640 寛永17年 | 松平康信、高槻城主になる | ||
1646 正保3年 | 僧円従、富田の光照寺を本照寺と改める | ||
1649 慶安2年 | 永井直清、高槻城主になる | ||
1650 慶安3年 | 直清、能因法師墳に顕彰碑建立 | 伝能因法師墳 | |
1651 慶安4年 | 直清、伊勢寺に顕彰碑建立 番田井路の掘削行う |
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1655 明暦元年 | 明の僧隠元、龍渓に請われて普門寺に入る | ||
1661 寛文元年 | 龍渓、慈恩寺(広智寺)に入る 龍渓、景瑞庵を再興し慶瑞寺と改める |
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1662 寛文2年 | 深草の元政上人『伊勢寺記』を書く | ||
1716 享保元年 | 享保の改革(徳川吉宗-45) | ||
1782 天明2年 | 天明の大飢饉(-87) | ||
1787 天明7年 | 寛政の改革(松平定信-93) | ||
1788 天明8年 | このころ宮田半平、城山で寒天づくり始める | ||
1793 寛政5年 | 野見神社内に永井神社を造営 | ||
1797 寛政9年 | このころ五十嵐新平、古曽部焼をはじめる | 古曽部窯跡 | |
1802 享和2年 | 淀川大洪水 | ||
1820 文政3年 | 真上で石川年足墓を発見 仏眼院法印、城山に三好氏祠を建てる |
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1841 天保12年 | 天保の改革(-43) | ||
1849 嘉永2年 | 大阪市内で大塩平八郎の乱が起こる 山藤辰政、文塚顕彰碑を建てる |
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1853 嘉永6年 | ペリー来航 | ||
1863 文久3年 | 八月十八日の政変 三条実美ら七卿落ち |
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1864 元治元年 | 禁門の変 高槻藩、洞ヶ峠へ出兵するが交戦せず | ||
1866 慶応2年 | 藤井竹外没す | ||
1867 慶応3年 | 大政奉還 | ||
1868 明治元年 | 戊辰戦争 | 淀川堤防決壊し高槻大洪水 | |
1869 明治2年 | 版籍奉還 旧高槻藩領で「世直し」 打ちこわし |
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1871 明治4年 | 廃藩置県 | ||
1873 明治6年 | 高槻小学校・芥川小学校開設 | ||
1874 明治7年 | 京阪間の鉄道建設のため高槻城破却 |