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西国街道と芥川一里塚

ページID:004555 更新日:2022年11月7日更新 印刷ページ表示
西国街道と芥川一里塚
名称 西国街道 芥川一里塚(さいごく かいどう あくたがわ いちりづか)
所在地 芥川町三丁目他
時代 江戸時代
備考 西国街道芥川一里塚
平成5年3月、府の史跡に指定

芥川一里塚

芥川一里塚の画像

西国街道は、8世紀の山陽道の後身にあたり、約8.1kmにわたり市域を東西に貫いています。京から大宰府に通じ、淀川とともに三島地域の政治・経済に大きな影響を及ぼしました。現在の道筋は、14世紀ごろに固定化したとみられ、三好長慶や高山右近、さらには織田信長、豊臣秀吉らが駆け抜けた道です。
江戸時代には脇街道として「山崎通(やまざきみち)」と呼ばれ、京都・山崎と西宮間を結んで西国大名の参勤などに利用され、同時に京坂間の交通路として重要な役割を果たしました。
街道沿いには、一里塚が設けられ宿場が整えられていました。一里塚とは、1里(約4km)ごとに街道の両脇に塚を築き、エノキを植えて、街道の路程の目印としたものです。市域では梶原と芥川にありましたが、現在は旧芥川宿東口の東側だけに残り、府の史跡に指定されています。 

芥川宿絵図(部分)

芥川宿絵図(部分)の画像

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