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岡本山古墳・弁天山古墳

ページID:004570 更新日:2024年1月9日更新 印刷ページ表示
岡本山古墳・弁天山古墳
名称 岡本山古墳(おかもとやま こふん)弁天山古墳(べんてんやま こふん)
所在地 高槻市南平台三丁目
時代 古墳時代前期

左側・岡本山古墳、右側・弁天山古墳

左側・岡本山古墳、右側・弁天山古墳の画像
南平台の丘陵上に広がる住宅地の家並みの上に、緑の丘が二つ並んでいます。名神高速道路沿いの南の丘が岡本山古墳、北の丘が弁天山古墳です。
岡本山古墳の墳丘は、尾根地形を利用してつくられ、後円部径70m、全長120mをはかります。一方弁天山古墳の墳丘は全長100m、後円部の直径は岡本山古墳と同じ70mという特徴をもっています。
これまでの踏査では、両古墳とも墳丘に河原石が葺かれ、岡本山古墳では壷形埴輪らしい破片が、また弁天山古墳では土器片があるものの、埴輪は並べられていないことがわかっています。この事実から、岡本山古墳は3世紀後半、弁天山古墳は岡本山古墳に続いて3世紀末ごろに築造されたものと推定され、南にひろがる平野部を本拠地とした三島の王の墓と考えられています。