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史跡嶋上郡衙跡
名称 | 史跡嶋上郡衙跡(しせき しまがみ ぐんがあと) |
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所在地 | 高槻市清福寺町・郡家新町・川西町一丁目他 |
時代・概要 | 奈良・平安時代 役所跡 |
備考 | 「嶋上郡衙跡附寺跡」として、 昭和46年5月、国の史跡に指定 |
空から見た嶋上郡衙跡
高槻・島本は古代の摂津国嶋上郡にあたり、ここを治めるために置かれた郡役所が、嶋上郡衙です。都や国の役所にならって、儀式の場・庁院(ちょういん)や税を納める正倉などが整えられていました。
庁院の西側には郡寺(芥川廃寺)、北に位置する式内社・阿久刀(あくと)神社周辺には嶋上郡の郡司(長官)一族の住まいがありました。また山陽道をはさんで西方の郡家今城遺跡、南方の津之江南遺跡は、郡衙と盛衰をともにした遺跡と考えられています。
上郡の墨書のある土器
嶋上郡衙跡周辺では、ここ35年ほどの間に約300か所近くで発掘調査が行われ、たくさんの建物や倉庫、道路などがみつかっています。
なかでも、直径40センチメートルを超える庁院回廊の柱や、径1.2メートルの大木をくりぬいた厨(くりや)の井戸枠、石組井戸から出土した「上郡」の墨書土器は、嶋上郡衙の存在を確かなものにした重要な発見です。まじないに使った墨書土器や銅銭なども出土しています。
嶋上郡衙とその周辺(想像図)
山陽道の北側に郡役所、その西側に郡寺や倉庫群が建ち並び、嶋上郡の政治・経済の中心だったと考えられています。
嶋上郡衙跡の仮整備地
史跡の中心部にあたる川西小学校北西側の一画には、庁院を3分の1の大きさで、平面表示しています。