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高槻史は面白い。このコーナーでは、著名な史実だけでなく、史料には登場しない高槻の各地域の伝承などを元に、私の個人的な見解を絡めて、高槻の歴史の面白さをご紹介できればと思います。

語り手 濱田剛史
「日本の始まり高槻に」。これは安満遺跡公園開園時のキャッチフレーズです。大きく出たようですが、実は大げさでもないのです。
現在、安満遺跡公園は、年間約150万人が訪れる大人気スポットとなっていますが、この公園の地下には、約2,500年前(弥生時代前期)の水田遺跡が眠っています。水田遺跡としてはかなり古く、近畿地方では最古級といってよいでしょう。
さて、稲作といえば、私たちは水田を思い浮かべます。一般的には、水田による稲作が日本での稲作の始まりだといわれています。
ただ、稲作には、陸での稲作もあります。日本でも水田稲作の開始以前に、陸の稲作が行われていたとする研究者もいます。確かに水田稲作が突然始まったとする考えは唐突感が否めません。長年の人々の知恵や経験の蓄積の末に、水田稲作が登場したと考えるのが自然とも思えます。
いずれにしても、水田稲作は画期的な技術です。その後の日本の社会を大きく変えました。本稿では、その画期的な点として連作障害が起こらないという点を挙げておきます。
連作障害が起こらないということは、同じ土地で何世代も稲作ができるということです。その結果、定住性が高まり、集落が形成されます。しかも、水田による米の収穫量は膨大で、多くの人口を養うことができ、集落も大型化します。まさに安満遺跡ですね。
また、日本は大陸に比べると狭いので、同じ土地を何世代も使えるというのは土地の有効利用という意味でも画期的です。
さらに、水田稲作は集落民の高度な共同作業が不可欠です。そのことで、集落民が組織化し、結束力も高まり、帰属意識も生まれます。つまり「クニ」の始まりです。
後々、近畿は日本の中心となります。その近畿で最古級の水田があった安満遺跡(集落)は、日本の「クニ」の原点ともいえます。以上から、「日本の『クニ』の始まりは高槻から」といっても大げさではないことがご理解いただけるのではないでしょうか。