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高槻城公園の整備計画をご紹介します

ページID:004419 更新日:2025年3月28日更新 印刷ページ表示

高槻城

高槻城図(しろあと歴史館蔵) ※石垣や桝方門の形などには想像も含まれます。

かつて大坂城、岸和田城とともに、府内三大城下町として繁栄していた高槻城下町。

その高槻城の跡地に整備され、長年市民の皆さまに親しまれてきた「城跡公園」は、芸術文化劇場の整備と併せて、歴史的景観づくりのシンボルとなる『高槻城公園』として、リニューアルします。

高槻城跡

高槻城三の丸から本丸を望むイメージ(AR高槻城の画像)の画像

高槻城三の丸から本丸を望むイメージ(AR高槻城の画像)

発掘調査 現地説明会資料

高槻城と現在の高槻城公園

現在、本丸のあった敷地は大阪府立槻の木高等学校が位置しており、二の丸の敷地は高槻城公園(中央エリア)となっています。現市民会館のある高槻城公園(北エリア)と、高山右近像や池のある高槻城公園(南エリア)には、武家屋敷がその大部分を占めている三の丸がおかれ、弁財天郭や三の丸御殿が南エリアに存在していました。

埋蔵文化財調査センター 高槻城二の丸(発掘調査)

配置比較図

高槻城と計画地のおよその配置比較

計画区域

現在の高槻城公園南エリア、芸術文化劇場南館のある「中央エリア」に加え、市民会館跡地や姉妹都市交流センターの跡地を「北エリア」として公園区域に編入し、さらなる歴史空間の創出を推進します。なお、姉妹都市交流センター跡地を「北エリア大手地区」と位置付けます。

計画区域のマップ

公園名称 :高槻城公園(地区公園)

公園面積 :約6.2ha(北1.8ha、中央1.9ha、南2.5ha )

開設年度 :昭和31年度

都市計画等:都市計画公園、第2種住居地域、近隣商業地域(北エリア)、広域避難地(高槻市地域防災計画)

アクセス :高槻城公園芸術文化劇場まで

      JR高槻駅から徒歩13分

      阪急高槻駅から徒歩8分

歴史的なデザインの再現

高槻城公園は高槻城の外堀内部の城地に位置していることから、再整備においては、高槻城の敷地の要素のうち、反映できそうな要素を抽出して空間構成の参考として、部分的に整備していくほか、歴史的な意匠の施設設置により、高槻城を再現していきます。

模型
高槻城を復元した模型写真
(しろあと歴史館にて展示)

石碑
高槻城跡の石碑

令和5年3月にオープンした高槻城公園中央エリアでは、高槻城二の丸の歴史的な景観を再現しています。

高槻城のお堀

高槻城二の丸の堀と石垣を再現

お堀に架かる橋

二の丸不明門への橋を再現

石積

発掘された高槻城の石垣石を用いた石積

北エリアの整備

北エリアは、かつての高槻城三の丸を思わせる乾櫓や桝形門、土塁・土塀を配置するなど、絵図等に基づき再現するものです。

エリア図
北エリア眺望

171号より

国道171号より

【POINT】

・一期工事(令和7から8年度)では、土塁・土塀や武家屋敷(トイレ)、東屋などを整備

・二期工事(令和9年度以降)では、乾櫓や桝形門などを整備

・園内には、カフェ・レストラン(飲食店)等の民間店舗を募集

北エリアの整備(大手地区)

高槻城下町の中心には地域の町会所がありました。その町会所の屋根に建ち四方を板張りで囲った火見櫓は、城下町を一望するたいそう立派な風格を備えていました。

この『火見櫓と町会所』は他に類を見ない独特な作りが特徴で、全国的にも珍しく、少なくとも江戸時代後期には建設されていたと考えられます。地域の安全を見張り、災害時には半鐘を鳴らして住民に危険を知らせる貴重な存在で、地域風景のランドマークでもありました。

火見櫓の写真 

藩校文武館の後方に見える火見櫓(明治7年ごろに撮影)

絵図

在りし日の高槻城を描いた絵図(昭和6年ごろに作成)

 

かつて高槻城下町を見守った「火見櫓と町会所」を、現代のランドマークとしてよみがえらせます。

大手眺望

北エリア大手地区 眺望

171号線よりの眺望

国道171号より

【POINT】

・絵図や写真などに基づき、城下町のランドマークとなる「火見櫓と町会所」を再現

・中庭には、憩いの場となる「(仮称)まちやカフェ」を整備し、民間店舗を募集

史跡整備・活用等特別委員会

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