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高槻市名誉市民

ページID:001168 更新日:2022年3月22日更新 印刷ページ表示

高槻市の向上発展と公共の福祉の増進に寄与し、広く社会の進歩発展に貢献された功績が顕著で、市民の尊敬の的と仰がれている方に対し、名誉市民の称号とともに名誉市民賞を贈っています。

高槻市名誉市民 礒村 彌右衞門氏

礒村 彌右衞門氏

略歴

大正 8年 大阪府議会議員
大正10年 大冠村長
昭和 6年 初代高槻町長、高槻町議会議員
昭和10年 第35代府議会議長
昭和13年 第36代府議会議長
昭和18年 初代高槻市長、初代高槻市議会議長

(昭和38年1月10日 高槻市名誉市民表彰)

礒村彌右衞門氏は明治23年、高槻市西天川生まれ。大正10年、大冠村長に当選。昭和6年の高槻町、芥川町、大冠村、清水村、磐手村の5か町村合併にあたって尽力し、新「高槻町」の初代町長に就任。同9年の如是村合併、翌10年の庁舎移転・新築をはじめ、町政の整備と各般施設の拡充に努めた。
合併後の高槻町は生産・交通の要衝として急速に発展。太平洋戦争の影響により、財政、物資、労力、その他の面で相当の困難が予測される中、高槻の一層の発展と福祉増進等に向け、強固な信念をもって市制施行の実現に努め、昭和18年1月1日、大阪府下9番目の市として高槻市が誕生することとなった。市制施行後は初代市長、初代市議会議長に就任し、治山治水、道路改修、産業、教育等、行政各般にその手腕を振るい、高槻市発展の礎を築いた。
また、大正8年に大阪府議会議員に当選以来23年有余在任。この間、第35代、第36代府議会議長を務めたほか、大阪府市町村会会長、大阪府農業会会長等の要職を歴任、一貫して市の発展と公共の福祉の増進に尽くし、多大の功績を残した。  (昭和41年 逝去)

高槻市名誉市民 中井 啓吉氏

中井 啓吉氏

略歴

大正 9年 磐手村議会議員
昭和 2年 磐手村長
昭和 6年 高槻町名誉助役、高槻町議会議員
昭和18年 高槻市助役
昭和20年 第2代高槻市長
昭和22年 大阪府議会議員

(昭和38年1月10日 高槻市名誉市民表彰)

中井啓吉氏は明治23年、高槻市古曽部生まれ。大正9年、磐手村議会議員に当選。昭和2年に磐手村長に選ばれ治績をあげた。昭和6年、5か町村合併の際には、反対派の説得に奔走し、新「高槻町」の実現に貢献。新町制が施行すると名誉助役に推され、礒村町政を支えて12年有余在任、昭和18年の市制施行後も引き続き助役を務めた。戦時体制の厳しい状況下にあって、住民福祉の増進や地域振興等に心血を注ぎ、その職務を着実に遂行。同20年、第2代高槻市長に選任され、戦後復興と市民生活の安定に尽力した。
その後、同22年、大阪府議会議員に当選。市政の各部門に通じたことから積極的に指導に努め、至誠一貫して市の向上進展に尽くすとともに、大阪府農業協同組合連合会会長等の要職を歴任されるなど、広く社会の進歩発展に貢献した。  (昭和41年 逝去)

高槻市名誉市民 高碕 達之助氏

高碕 達之助氏

略歴

明治39年 農商務省水産講習所卒業
大正 6年 東洋製罐(株)を創立
昭和16年 満州重工業開発(株)副総裁
昭和17年 満州重工業開発(株)総裁
昭和27年 電源開発(株)総裁
昭和29年 経済審議庁長官
昭和30年 衆議院議員
昭和33年 通商産業大臣、経済企画庁長官、科学技術庁長官
昭和34年 科学技術庁長官、原子力委員会委員長

(昭和39年2月23日 高槻市名誉市民表彰)

高碕達之助氏は明治18年、高槻市柱本生まれ。明治39年農商務省水産講習所(現東京海洋大学)を卒業。三重県鳥羽市の東洋水産の技師長を務め、明治44年、メキシコに渡り水産会社で缶詰工場を指導した。帰国後、大正6年に東洋製罐株式会社を創立。大阪、東京、清水等に次々と工場を建設し、優れた技術と経営手腕で水産加工業界において確固たる地位を築いた。
その後、昭和16年、請われて満州重工業開発株式会社副総裁に、翌年には総裁に就任。同27年には電源開発株式会社初代総裁となり、産業発展の基盤となる電力供給の確保のため、大規模水力発電の開発に努めた。御母衣ダム建設の際には、郷土をダムに沈めまいとする岐阜県荘川村住民らによる反対運動が繰り広げられる中、住民の心情に胸を痛めながらも国の発展を思う一心で真摯な対話を続け交渉成立に導いた。同村には寺の境内の片隅に樹齢400年にも及ぶ大きな桜の木があったが、村人たちにとって生活の象徴である桜を救いたいとの思いで、困難な移植を敢行。その桜は荘川桜と名付けられ、現在もダムを望みながら悠々と立ち、その傍らには「ふるさとは 水底となりつ 移し来し この老桜 咲けとこしへに」と、高碕氏が詠んだ句が刻まれた石碑が立てられている。
国政においては、昭和29年、第一次鳩山内閣に経済審議庁長官として入閣。翌30年、衆議院議員に初当選。以後4回の当選を果たし、第二次岸内閣時には通商産業大臣、科学技術庁長官等を務めた。同年、バンドンで開かれたアジア・アフリカ会議では日本政府主席代表を務め、平和十原則採択に貢献。また、日中経済交流の基礎となるLT貿易(Lは廖承志氏、Tは高碕氏の頭文字)を実現させ、日中友好の架け橋となるなど、長年にわたり政財界において数々の功績を残した。  (昭和39年 逝去)

注釈:高碕 達之助氏の「高」は「はしごだか」

高槻市名誉市民 山崎 旭萃氏

山崎 旭萃氏

略歴

大正 4年 倉増旭陵に入門
大正11年 山崎旭萃会を創立
大正14年 初代橘旭宗に直門を許される
昭和39年 「大和流琵吟楽 山崎光掾会」を創始
昭和42年 筑前琵琶日本橘会宗範
昭和48年 琵琶楽協会理事
昭和50年 琵琶楽協会相談役
平成 7年 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定 

(平成7年6月15日 高槻市名誉市民表彰)

山崎旭萃(本名:永井ハル)氏は明治39年、大阪市生まれ。大正4年に琵琶の倉増旭陵門下に入り、斯道の修業、演奏技法の研鑚に励まれ、同11年に自らの「山崎旭萃会」を創立。その後長らく琵琶の代表的な奏者として活躍するとともに、後継者の育成に努めた。昭和39年には、琵琶と詩吟を融合した「大和流琵吟楽 山崎光掾会」を創始し、同42年には筑前琵琶日本橘会の最高位である「宗範」に推された。
高槻市には昭和44年から住まわれ、引き続き琵琶の普及、振興に尽くし、演奏会や講演を通じて地域文化の発展にも大いに貢献し、また琵琶楽協会の理事、相談役等を歴任するなど指導的立場でも活躍した。
賞歴においては、同50年に芸術選奨文部大臣賞、同54年に芸術祭優秀賞等、秀でた技量と芸術性のゆえに数々の賞を受賞し、同55年には勲五等瑞宝章を叙された。平成7年、その半生をかけて追求した琵琶の抑制の効いた表現に備わる高い精神性、芸術性が認められ、高度な技法をもって芸能史上にも大きな足跡を標されたことに対し、琵琶奏者として初の国の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。

(賞歴)

昭和50年芸術選奨文部大臣賞、大阪文化祭賞、昭和54年芸術祭優秀賞(レコード部門「筑前琵琶 山崎旭萃集」、NHK放送部門「篠笛と琵琶の為の詩曲」)、昭和55年勲五等瑞宝章、昭和63年高槻市教育文化功労賞、平成2年大阪芸術賞、平成5年松尾芸能賞優秀賞など  (平成18年 逝去)

高槻市名誉市民 村上 三島氏

村上 三島氏

略歴

昭和 6年 泉尾工業高校卒業
昭和23年 日本書芸院審査員
昭和30年 日展審査員、長興会会長
昭和36年 日本書芸院理事長(以降昭和41年まで)
昭和48年 日本書芸院理事長(以降昭和54年まで)
昭和60年 日本芸術院会員
平成 5年 上海博物館特別顧問兼招聘教授
平成 5年 文化功労者表彰
平成 6年 日展顧問、日本書芸院常任顧問
平成10年 文化勲章受章

(平成10年12月17日 高槻市名誉市民表彰)

村上三島(本名:村上正一)氏は、明末清初の書人・王鐸の草書連綿体に傾倒しながら、これに独特の解釈を加え、流麗で躍動感あふれる独自の書風を確立したわが国を代表する書家。
大正元年、愛媛県で生まれ、15歳で書を志して書家の片山萬年氏に師事。以来、斯界の修行・研鑚に励み、昭和7年には「京都平安書道会優等賞」を受賞。昭和23年には日本書芸院審査員となり、同24年の第5回日展で「杜甫寄弟詩」が特選、同27年の第8回日展で同じく「陸放翁暁嘆詩」が特選となるなど、澄明にして枯淡の境地を開拓したと高い評価を受けた。
日本を代表する書家として優れた作品を発表する一方、昭和36年には日本書芸院理事長に就任するなど関係団体の要職を歴任し、指導に講演にと各地を回り、後進の育成に努めた。同39年には「秋分思子」で文部大臣賞、同43年には「杜甫詩贈高式顔」で日本芸術院賞を受賞。その後、昭和57年には生まれ故郷の愛媛県上浦町(大三島)に上浦町歴史民俗資料館(別称:村上三島記念館)が開館。同60年には日本芸術院会員、同63年には勲三等旭日中綬章を受章し、平成5年には文化功労者として顕彰された。同6年には日展顧問、日本書芸院常任顧問に就任。同10年には書の道70余年の業績が称えられ、文化勲章を受章した。
また、昭和59年に中国河南省博物館で村上三島書法展が開催されたのを皮切りに、上海、北京で作品展が開催され、平成5年には上海博物館特別顧問兼教授に就任。同6年には上海市白玉蘭奨を受賞するなど、中国との国際交流も積極的に推進し、書壇の発展に大きく貢献している。

(賞歴)

昭和23年第4回日展入選、昭和24年第5回日展で「杜甫寄弟詩」が特選、昭和27年第8回日展で「陸放翁暁嘆詩」が特選、昭和39年「秋分思子」が文部大臣賞、昭和43年「杜甫詩贈高式顔」が日本芸術院賞、昭和63年勲三等旭日中綬章、平成5年文化功労者表彰、平成10年文化勲章など  (平成17年 逝去)

名誉市民の功績展示

総合センター1階エントランスホールに、名誉市民の功績を展示しています。

市役所へお立ち寄りの際は、ぜひご覧ください。

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