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平和首長会議との連携
広島市・長崎市は昭和20(1945)年8月、原子爆弾の投下により、一瞬にして廃虚と化し、数多くの尊い命が奪われました。原子爆弾は、戦後60年以上経過した現在でも、放射線による後障害や精神的な苦しみを多くの市民に残しています。このような原子爆弾による悲劇が二度と地球上で繰り返されることのないよう、広島・長崎両市は一貫して世界に核兵器の非人道性を訴え、核兵器の廃絶を求め続けてきました。
昭和57(1982)年6月24日、ニューヨークの国連本部で開催された第2回国連軍縮特別総会において、荒木武・広島市長(当時)が、世界の都市が国境を超えて連帯し、ともに核兵器廃絶への道を切り開こうと「核兵器廃絶に向けての都市連帯推進計画」を提唱し、広島・長崎両市長から世界各国の首長宛てにこの計画への賛同を求めました。
平和首長会議は、この「核兵器廃絶に向けての都市連帯推進計画」に賛同する世界各国の都市で構成された団体で、平成2(1990)年3月に国連広報局NGOに、平成3(1991)年5月には国連経済社会理事会よりカテゴリー2(現在は「特殊協議資格」と改称)NGOとして登録されました。
高槻市は、平成25(2013)年6月1日から本会議に加入し、非核・平和の実現に向けて活動しています。
平和首長会議<外部リンク>