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23.芝生遺跡

ページID:095303 更新日:2023年1月25日更新 印刷ページ表示

​ 安満遺跡公園の開園もあり、高槻市の弥生時代の遺跡といえば 「安満遺跡」がまずあがると思い ます。一方で同じ弥生時代の遺跡で過去に大きな発掘調査を行いながらも、あまり取り上げられていない遺跡もあります。

市の総合スポーツセンターがある芝生地域には、今から1900年前の弥生時代後期に発展した芝生遺跡というムラがありました。この場所は淀川にも近く、洪水の影響を受けやすい土地でした。そのため、ムラは周囲に比べて小高い場所を選んで作られています。

こうした災害に遭いやすい場所に、なぜ人々は住んだのでしょうか。ヒントとなるのは、芝生遺跡では、北摂以外で作られた土器がほかの集落に比べて多く出土することです。他地域で作られた土器が あるということは、それに伴って物や人が移動してきたことも推測できます。ほかにも広域にわたる交易・交流を示す資料が発見されているため、もしかすると地の利を生かした弥生時代の物流センターのようになっていたのかもしれません。

現在の芝生地域も住宅街を中心に物流倉庫が広がります。1900年前にも現在と共通する風景があったと考えると、感慨深いものがありますね。 (今城塚古代歴史館)