ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

18.市内の古代寺院

ページID:085281 更新日:2022年8月23日更新 印刷ページ表示

​市内では古くから寺院が造営され ていました。現在確認しているのは梶原寺跡と芥川廃寺です。

梶原寺は、7世紀中頃に造営された市内最古の寺院で、梶原1丁目の畑山神社周辺にありました。東には山陽道に伴う古代駅家(うまや)の推定地・梶原南遺跡が所在する要所です。

「正倉院文書」の中には、天平勝宝8(756)年、造東大寺司が造営中の東大寺大仏殿回廊の瓦の製作を四天王寺と梶原寺に依頼したことが、摂津国の行政を司った摂津職の文書「摂津職解」に書かれています。

これまでの調査では多くの瓦が出土し、なかでも創建軒丸瓦は梶原寺を中心として摂津国中で使用された瓦であることが分かっています。梶原寺が北摂地域でも重要な寺院であったと言えるでしょう。

芥川廃寺は、7世紀後半に造営された古代寺院で、郡家新町の素戔嗚尊神社周辺にありました。寺のすぐ東には、古代の郡役所である嶋上郡衙が所在していました。寺は、地元の豪族・三島県主一族の私的な氏寺として造営されたのちに、嶋上郡衙の成立に伴って、郡衙に付属する公的な郡寺として運営されたと考えられます。

以上のように梶原寺跡と芥川廃寺は国との関わりが深い寺院であることが明らかになっていますが、伽藍など主要な遺構が発見されていないことから、

今後の調査研究によって、より具体的な姿が明らかになることが期待されています。 

(埋蔵文化財調査センター)

梶原寺跡の創建軒瓦

​   梶原寺跡の創建軒瓦