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2.浅井三姉妹・江と高槻城

ページID:004608 更新日:2022年3月30日更新 印刷ページ表示

戦国時代の有名な人物と高槻との接点を取り上げます。浅井三姉妹の一人・江(ごう)です。

江は天正元(1573)年、近江の戦国大名・浅井長政と、妻の市(織田信長の妹)との三女として誕生しました。生後間もなく、父は信長に攻められて自害し、天正11(1583)年には母が、再婚した柴田勝家と羽柴(豊臣)秀吉との戦で命を絶ちます。

この間、江は長女の茶々(淀殿)、次女の初と2度の落城を経験。後に茶々が秀吉の妻として、江が徳川秀忠の妻として豊臣・徳川の対立に巻き込まれ、二人の間を初が奔走します。天下統一の歴史の中、数奇な運命を背負った三姉妹でした。

江は生涯で3度の結婚をしたとされますが、事実上の初婚は秀吉の甥で養子の羽柴小吉秀勝との2度目の結婚でした。小吉と江との婚儀は、天正13(1585)年10月18日に淀城(京都市)で行われた説が有力です。この前月、秀吉の命で高山右近が明石(明石市)へ移されたばかりの高槻では、小吉が寺院や町に権利保障の書状を出していました。これは、小吉が次の高槻城主になったことを示します。
翌天正14 年に小吉が亀山城(京都府亀岡市)の城主になるまでの間、江は高槻城主の妻だったと考えられます。

羽柴小吉秀勝が安岡寺に出した書状(市指定文化財)
市指定文化財 羽柴小吉秀勝が安岡寺に出した書状