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「高槻 まちかど遺産」高槻市北部
市では、生活に密着したまちかどの文化財や歴史などを「高槻 まちかど遺産」として市民のみなさまから公募、選定し、高槻市北部では31ヵ所に説明板を設置しています。
ウォーキングの途中などにご覧いただき、「歴史のまち たかつき」を感じてみてください。
番号 | まちかど遺産名 | 説明板 所在地 |
ひとこと紹介 |
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1 |
芥川の金毘羅燈籠 |
芥川町 |
江戸時代以降さかんになった金毘羅信仰の参詣者のため、道標・常夜燈として、芥川の人々により建立された燈籠。 |
2 |
阿久刀神社の夫婦梅 |
清福寺町 |
阿久刀神社境内にあるウメの木。実が二つずつ寄りそうように付くことから夫婦梅と呼ばれている。 |
3 |
神峯山寺への道標(五番石) |
西真上 |
大坂の商人・赤松由永が、淀川の三島江浜から神峯山寺への参詣道に、享和元年(1801)に16基建立したうちの五番石。 |
4 |
真上の愛宕燈籠 |
真上町 |
愛宕神社を信仰する人々は、地域単位で「愛宕講」を組織し、年1、2回代表者が参詣した。この燈籠がある場所はかつては「あたごさん」と呼ばれる広場だった。 |
5 |
浦堂の愛宕燈籠 |
浦堂本町 |
この燈籠は、以前は服部図書館が建つ旧真上池北側の道端にあり、昭和50年代の道路工事に際して、当地に移された。本来は浦堂の愛宕燈籠と考えられる。 |
6 |
今井手井堰跡 |
大蔵司 |
井堰とは川を木杭や石で堰き止め、水位を上げて用水路へ取水する施設のこと。 今井手井堰は、井堰を巡る争いを三好長慶が裁いた「水論裁許状」で知られている。 |
7 |
宮田半平顕彰碑 |
宮之川原元町 |
寒天づくりに功績を残した宮田半平を顕彰するため、大阪府・京都府・兵庫県の寒天水産組合が大正3年(1914)に建立したもの。 |
8 |
服部を流れる水路 |
塚脇 |
旧の服部村では、小川や豊富な用水が村の特産品を支えてきた。下流の村々も潤した一ノ湯井堰からの用水は、「逆サイフォンの原理」により西山川の下をくぐっている。 |
H30-5 | 真上大井手 | 真上町 2丁目16 |
真上村の用水の一つ。芥川左岸の服部村大蔵寺(司)の井堰からの用水と、神明池など3つの戸手(湧水地)を水源とする用水は、村境で合流し真上村の田畑を潤した。 |
H30-6 | 安勝寺と地蔵伝承 | 真上町 3丁目8 |
安勝寺は明治3年(1870)に廃寺となり、本尊・千手観音坐像は安岡寺に客仏として安置されている。この場所に安置されている地蔵尊もかつて安勝寺で祀られていたと伝えられる。 |
H30-7 | 神明池跡 | 大蔵司 2丁目2 |
神明池は、江戸時代、下手の真上村の重要な水源だったが、水量の減少によって1980年代に役目を終えた。 |
番号 | まちかど遺産名 | 説明板 所在地 |
ひとこと紹介 |
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9 |
「タカツキワニ」化石の発見地 |
安岡寺町 |
昭和41年(1966)、「上の口」バス停付近の露出した地層から化石が発見された。 種類判別の決め手となる頭骨が未発見のため、「タカツキワニ」と仮称されている。 |
10 |
原八景「河原夕照」 |
大字原 |
原八景は、中国の景勝地を詠んだ「瀟湘八景」にならって、明治時代に神峯山寺の僧・近藤大道が選んだもの。 「河原夕照」は瀟湘八景の「漁村夕照」になぞらえ、夕日に照らされた芥川の河原を詠んでいる。 |
11 |
原八景「横山秋月」 |
大字原 |
「横山秋月」は瀟湘八景の「洞庭秋月」になぞらえて、浄圓寺北側の横山から天の中心に輝く秋の月などを詠んでいる。 |
12 |
原八景「浄圓暮鐘」 |
大字原 |
「浄圓暮鐘」は瀟湘八景の「烟寺晩鐘」になぞらえ、春の夕暮に響く浄圓寺の鐘の音を詠んでいる。 |
13 |
原八景「宮下落雁」 |
大字原 |
「宮下落雁」は瀟湘八景の「平沙落雁」になぞらえ、月明かりの秋の夜に、八阪神社の下を流れる川に舞い降りる雁の群れの様子を詠んでいる。 |
14 |
原八景「大森晴嵐」 |
大字原 |
「大森晴嵐」は瀟湘八景の「山市晴嵐」になぞらえ、雨上がりの晴れた日に、大森橋から見える夏の風景を詠んでいる。 |
15 |
原八景「本山暮雪」 |
大字原 |
「本山暮雪」は瀟湘八景の「江天暮雪」になぞらえ、雪に覆われた山々の中に、微かに見える冬の本山寺を詠っている。 |
16 |
原八景「京坂帰牛」 |
大字原 |
「京坂帰牛」は瀟湘八景の「遠浦帰帆」になぞらえ、京坂から原に帰ってくる牛を、夕暮れに帰港する船に見立てて詠んでいる。 |
17 |
原八景「神峯夜雨」 |
大字原 |
「神峯夜雨」は瀟湘八景の「瀟湘夜雨」になぞらえ、山中に佇む神峯山寺と物寂しく降る夜の雨音などの幽玄な雰囲気を詠んでいる。 |
18 |
本山寺への二十丁石 |
大字川久保 |
大正3年(1914)に勧請掛前の一丁石まで20基建立された丁石の一つ。 丁(町)石とは、一丁(約109メートル)ごとに建て道程を示すもので、道標を兼ねることもあった。 |
H29-6 |
柳谷観音への道標 |
大字川久保 | 眼病・諸病のご利益で信仰を集める柳谷観音・楊谷寺(長岡京市)への道を案内しており、大坂から毎月参詣する講の人々が建立したもの。 |
番号 | まちかど遺産名 | 説明板 所在地 |
ひとこと紹介 |
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19 |
田能城跡 |
大字田能 |
樫田地区は丹波国南端に位置し、山城・摂津両国の国境が接する要衝であり、戦国時代には田能城という山城が築かれた。 |
20 |
田能の地名伝承・「アンタコ」 |
大字田能 |
桂香寺周辺の地名小字「アンタコ」。由来は定かではないが、平安時代に坂上田村麻呂が東北地方から連れ帰った人々が住んだことからついた地名との伝承がある。 |
21 |
経塔 |
大字田能 |
江戸時代の文政8年(1825)に田能の庄屋並河氏の妻・音羽の発願により建立された。碑文は専念寺(亀岡市)の15代住職・徹誉東嶺によるもの。 |
22 |
板碑型の町石 |
大字田能 |
12人の僧が法華経を千回読経した記念として建てられた。西国三十三所巡礼の21番札所・穴太寺(亀岡市)までの距離を示す町(丁)石も兼ね、町石としては市内最古のもの。 |
23 |
巡礼者供養の道標 |
大字田能 |
西国三十三所巡礼の21番札所・穴太寺(亀岡市)と、日蓮宗の霊場・能勢妙見山を案内する道標。秋田からきて、この地で亡くなった男女2人の供養塔も兼ねている。 |
24 | 善峯寺への道標 | 大字杉生 小字縄手ノ北 |
妙楽寺境内の左手にある道標は西国三十三所20番札所・善峯寺(京都市西京区)を案内するもので、江戸時代の建立とみられる。 |
H30-8 | 藤井神社の五輪塔 | 大字二料 | 藤井神社はかつて鹿爪権現社とも称されていた。境内脇に安置された五輪塔は、仏教の供養塔で、かつての神仏習合の時代を今に伝えている。 |
H29-7 | 二料の「毘沙門さん」 | 大字二料 | 南側の宝山にあった宝山権現の北方の守護として毘沙門天を安置したとの伝承があり、二料地区の人々から「毘沙門さん」と呼ばれている。 |
H29-8 | 二料の愛宕燈籠 | 大字二料 | 二料地区では、江戸後期に、集落の大半が焼失する大火事がおこったことから、火災除けの神として愛宕神社への信仰を深め、燈籠を建てたと伝えられる。 |
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