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「高槻 まちかど遺産」上牧・高槻東周辺地区

ページID:004602 更新日:2023年8月1日更新 印刷ページ表示

市では、生活に密着したまちかどの文化財や歴史などを「高槻 まちかど遺産」として市民のみなさまから公募、選定し、上牧・高槻東周辺地区では12ヵ所に説明板を設置しています。
ウォーキングの途中などにご覧いただき、「歴史のまち たかつき」を感じてみてください。
高槻まちかど遺産の一つ「伝・林丹波守の五輪塔」と説明板の画像

 

番号

まちかど遺産名

説明板
所在地

ひとこと紹介

1

タイガース橋

東上牧
1丁目3

橋に隣接する敷地には、かつて「タイガース」の名を冠するゴム工場があった。橋は同社と電鉄会社の共同で架けられ、昭和41年(1964)に本市へ譲渡された。

2

梶原台場跡

梶原
3丁目1

幕末に、京都を守るため築造された砲台陣地。2門の大砲を備え、西国街道を迂回させて引き込んだ関所でもあった。

3

神内山古戦場

梶原
3丁目1

南北朝時代の文和4年(1355)、北朝軍が「神南」の北の峰に陣を構えた。これが神内山と考えられる。攻めかかった南朝軍に対し、北朝軍は激戦の末に撃退したという。

4

「船本松太郎」碑

梶原
2丁目3

幕末から明治時代にかけて、上牧村の船本松太郎が相撲集団「都松」を作り、草相撲や神社での奉納相撲を行ったと伝わる。この石碑は、門弟たちが建立したものという。

5

一乗寺山門の柱継手

梶原
2丁目9

貞享元年(1684)に建立された山門は、平成22年(2010)に修理が行われた。元の部材をできるだけ生かす工夫がされており、新旧部材は釘を使わず継いでいる。

6

「弁慶の駒つなぎ」のクスノキ

梶原
2丁目9

一乗寺境内にある樹齢約800年ともいわれるクスノキ。西国街道を通りかかった弁慶が馬をつないだとの伝承がある。

7

歯痛地蔵尊

梶原
1丁目5

歯が痛む時に、この地蔵を拝むとたちまち治るとして、地元の人々から信仰されてきた。この場所は、地蔵の「お告げ」により決まったと伝わる。

8

伝・林丹波守の五輪塔

梶原
1丁目5

畑山神社の前身・永満寺(永福寺)は、「林丹波守」によって建立されたと伝わる。五輪塔は供養塔と推定される。

9

延命・子育て地蔵尊

梶原
1丁目8

昭和30年代中頃、西国街道で工事の際に出土した。平成9年頃に当地に遷され、その時「延命地蔵」「子育て地蔵」と名付けられたという。

10

レンガ造りのアーチ橋

梶原
5丁目15

線路下を横切る道路や水路には、レンガ造りのアーチ橋(まんぽ)がいくつも架けられた。このアーチ橋はねじるようなレンガの積み方から「ねじりまんぽ」と呼ばれているものの一つ。

11

桧尾川両岸のお地蔵さん

山手町
1丁目10

檜尾川橋の東西には、それぞれ地蔵を祀る祠がある。西詰の祠は、野晒しとなっていた地蔵を地元の人々が祀ったもの。東詰の民家の祠は北側の山中に散在していたものを祀るようにしたもの。

12

金龍寺への一丁石

成合南の町

金龍寺は昭和58年(1983)に焼失し、跡が残るのみだが、創建は平安時代に遡る天台宗の名刹であった。麓の磐手橋付近から続く参詣道には、13基の丁(町)石が建てられた。

ダウンロード用マップ

「高槻 まちかど遺産」(上牧・高槻東周辺地区)マップ(PDF:319.5KB)

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