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7.松永久秀と本山寺

ページID:031940 更新日:2022年3月22日更新 印刷ページ表示

戦国時代の有名な人物と高槻との接点を取り上げます。戦国武将の松永久秀です。

久秀は摂津国東五百住(本市東五百住町)出身説が有力視されています。その東五百住から北北東へ約9キロメートルに位置する山岳寺院の本山寺には、久秀ゆかりと伝える寺宝があります。
本山寺は役小角(えんのおづぬ)によって開かれ、奈良時代の8世紀に開成皇子が創建したと寺伝にあり、武神である毘沙門天像(重要文化財)を本尊とします。

本山寺画像
本山寺

江戸時代(18世紀末)に刊行されたガイドブック「摂津名所図会」には、戦国時代の天文年間(1532から55年)に、東五百住に「在城」していた久秀が本山寺の毘沙門天をあつく信仰したところ、その霊夢の恩恵によって武門の名誉を得ることができたため、田地と家宝であった「葡萄硯(ぶどうのすずり)」、盆石の「伺向雁石(しこうのがんせき)」を奉納したとあります。そして、硯は古くは室町幕府将軍足利義政が持っていたこと、盆石は雁が翼を休めている姿に似ていることから名付けられたと解説しています。

これは、今でも本山寺に伝来しています。硯は縦が約36センチメートルの大きなもので、朝鮮半島製です。全体に精緻な葡萄の彫り物があり、足利将軍旧蔵品の伝承に相応しい名品です。盆石は高さ約11センチメートルの自然石です。久秀ゆかりの品と伝える寺宝の存在からは、高槻と久秀の結びつきがうかがえます。

硯と盆石
盆石(左)と硯(右)(いずれも本山寺所蔵)