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33.摂津の玉川

松風の 音だに秋は さびしきに 衣うつなり 玉川の里         

源俊頼『千戴和歌集』巻六より

玉川の里にたつ松尾芭蕉の句碑

高槻市玉川二丁目にある「玉川の里」は市内の南部、三箇牧地区にあり、そこに咲く「うのはな」は、平安時代から古歌の歌枕として知られ、江戸時代にも俳句や川柳の題材にもなりました。

古くから詩歌などにうたわれた景勝地として、全国に6ヶ所の玉川(六玉川)があり、高槻の玉川は、山城国、近江国などの玉川とともに、「摂津国三島の玉川」として六玉川のひとつに数えられていました。
それらは、地域ごとに、それぞれ詩歌に詠み込まれている風物が決まっていて、山城国井手は山吹、近江国野路は萩、武蔵国調布は晒布(さらしぬの)、陸前国野田は千鳥、紀伊国高野は旅人または氷で、摂津国三島は「うのはな」とされています。

三島の玉川は、別名「砧(きぬた)の玉川」と呼ばれています。「砧」とは布などを木づちで叩いて柔らかくするときなどに使う台のことで、川を描いた浮世絵には、河畔で砧をうつ人物が描かれたものがあります。「うのはな」の和名は「ウツギ」といいます。つまり、「砧」は「打つ木(ウツギ)」で、「うのはな」とつながるのです。

初夏の玉川を詠んだ和歌・俳句には、「うのはな」が多く登場します。

うのはなや暗き柳のおよびごし

これは元禄7年(1694)の夏、松尾芭蕉が伊賀上野(現伊賀市)に帰郷し、大坂や京に頻繁に出入りしていた頃に詠んだ句で、現在、玉川の里にはこの句碑がたてられています。

今も、夏が訪れる度に玉川の里は一面の「うのはな」におおわれ、白い可憐な花が私たちを和歌や俳句に詠まれた頃の玉川に誘ってくれます。

昭和42年(1967)、市民の花に「うのはな」が選ばれました。

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