現在の位置

史跡 今城塚古墳とは

古墳の概要

史跡今城塚古墳は、三島平野のほぼ中央に位置し、淀川流域では最大級の前方後円墳です。西向きの墳丘の周囲には二重の濠がめぐり、総長約350メートル・総幅約360メートルをはかり、日本最大の家形埴輪や精緻な武人埴輪が発見されています。

今城塚古墳は、531年に没した第26代継体天皇の真の陵墓と考えられ、古墳時代の大王陵としては唯一、淀川流域に築かれた古墳です。今後の整備・公開に向けて平成9年から確認調査を行っており、古墳の規模をはじめ、のちの城砦や地震による変形の様子など、貴重な成果が得られています。なかでも平成13・14年度の調査 で北側内堤からみつかった埴輪祭祀区(はにわさいしく)は、大王陵での埴輪祭祀の実態を示すものとして大きな注目を集めています。

なお今城塚という名称は、戦国時代に城砦として利用されたことに由来し、江戸時代の絵図などにも今城陵(いまきのみささぎ)などと記されています。

史跡指定と公有化

昭和33(1958)年に、日本の歴史を跡づけるかけがえのない貴重な文化財として、国史跡の指定を受けました。
指定面積は約85,210平方メートルです。

高槻市では、古墳の保存を図るため、国や大阪府の支援をうけながら約50年間をかけて、ほぼ全域を公有化しました。

この間、古墳では水田耕作がやみ、墳丘や内堤のマツ林は自然植生であるクヌギやシイなどのドングリ林に、移り変わりました。その一方、古墳の周辺はすっかり市街化し、かつて広がっていた水田の景観は、まったく様変わりしています。

50年以上も前から古墳の保存に取り組んできました!

昭和30年代前半の今城塚古墳とその周辺
ほぼ全域が民有地で、内濠・外濠をはじめ、周辺一帯には水田が広がり、4か所の池は農業用水の溜池として利用されていました。(『日本の古墳』から)

市街化がすすむ古墳周辺(南側上空から)

平成12年(2000)ころの状況
古墳の北側は老人福祉センターや小学校が占め、東・南・西側は大半が宅地化されています。

整備前の状況

今城塚古墳は、すべて人の力で、濠を彫り、土を積み上げて墳丘を形づくり、遠くから運んできた石で表面をおおい、ハニワを立て並べた「造り山」で、後円部墳丘の中心部には埋葬施設が設けられていました。

つくられてから1500年近くを経て、風雨にさらされ、周濠の波打ち際は浸食がすすんでいます。平成9年からの発掘調査により、文禄5(1596)年の伏見地震による地滑りで、墳丘の盛土の多くが内濠へ滑落したことが判明しました。さらには江戸時代以来、内濠の水田化や内堤の土採りなどがすすみ、人の手が加わって本来の形が大きく崩れているところがあります。またブラックバスなどの外来生物やヒノキの植林などによって、在来種は駆遂され、この地域本来の植生すらまぎらわしくなっています。

浸食がすすむ周濠の波打ち際

浸食がすすむ周濠の波打ち際

地震で内濠へ滑落した墳丘の盛土

地震で内濠へ滑落した墳丘の盛土
表土が流出して露出した円筒埴輪

それらを放置すれば、将来に残し、伝えるべき古墳そのものー史跡の歴史的価値や学術的価値、地域の アイデンティティである歴史遺産ーの位置が損なわれ、失われていくことは火を見るより明らかです。 

表土が流出して露出した円筒埴輪

史跡だからこそ開発をまぬがれ残せたのであり、古墳のこれ以上の風化をとどめ、崩壊を防がなければ なりません。私たち共有の財産である史跡を、将来の文化発展の基礎とするために、よりよい状態で保存するとともに、広く市民・国民に公開していきます。



史跡今城塚古墳

史跡公園化整備事業

古墳の保存と公開

 高槻市は、「歴史の息吹くまちづくり」に取り組むなかで、史跡今城塚古墳を歴史遺産のネットワークの中核として整備し、史跡公園として公開しようと、平成16年から7か年計画で整備工事をおこないました。

整備の考え方

今城塚古墳の適正な保存を基本に、
1.郷土の歴史文化を学ぶ場。
2.散策や憩いの歴史的空間。
3.歴史文化に関するさまざまな活動をささえる拠点。
となる史跡公園にすることにより、都市の風格や市民の郷土への誇りと愛着をはぐくみ、特色ある地域文化を全国に発信していくことを目指します。

整備の具体像

古代の壮大なモニュメントを体感できるように、調査成果にもとづいて二重の濠を復元的に整備し、大形の前方後円墳の形を表現します。また、この古墳最大の特徴であり他に類を見ない埴輪祭祀場は、復元埴輪で再現します。

一方で、墳丘は現状の地形や樹木をできるだけ残します。内堤には緑陰を確保し、バリアフリーの観点から 地下通路やスロープを設けます。内濠は水と芝生で水面の広がりを表現し、外濠は芝生で空濠を再現します。 また古墳北側の広場には埴輪祭祀場の展望デッキや全体模型などを設置し、北側道路沿いに今城塚古墳と 三島古墳群を学習できる「今城塚古代歴史館」を整備し、「歴史のまち・高槻」を全国に発信していく拠点として いきます。

1500年前の古墳完成想像図(早川和子画「よみがえる日本の古代」2007より)

古墳各部の整備方針

整備計画平面図

古墳各部の整備方針(拡大図)(PDF:632KB)

整備工事の実施概要

7か年の工区割

イベント情報

高槻市では、史跡今城塚古墳とその整備事業を全国に発信する、さまざまな催しに取り組んでいます。

終了したイベント

「古代の匠に挑戦!!-石棺復元体験事業- 」 平成21年1月13日~1月23日の平日5日間 終了しました

平成18年度から市民とともに今城塚古墳出土石棺の復元を行っています。1基目は兵庫県産の「竜山石(たつやまいし)」を使い、長さ2.6メートル、高さ1.8メートル、重さ約9tの石棺を、2基目は大阪府・奈良県境の二上山(にじょうさん)産の「二上山白石」を使い、長さ2.3メートル、高さ1.1メートル、重さ約5tの石棺を造り上げました。 3基目にあたる今回は、遥か約1000キロメートルの熊本県宇土市産の「阿蘇ピンク石」を使った石棺の復元体験を行います。工具は現代のものですが、古代にならって人力だけで仕上げていきます。

「近江の阿蘇ピンク石製石棺」現地学習会 平成20年12月19日(金曜日) 雨天決行 終了しました

高槻市では、今城塚古墳の石棺復元体験「古代の匠(たくみ)に挑戦!第3回-阿蘇ピンク石編-」を開催します。そこで、今回使用する石材「阿蘇ピンク石」の現地学習会を開催します。滋賀県の野洲市歴史民俗博物館と国史跡甲山(かぶとやま)古墳・円山(まるやま)古墳をバスで訪れます。遥か熊本県から運ばれてきた阿蘇ピンク石製の家形石棺を見学し、専門家の講演に耳を傾ける、という充実した内容のこの学習会、石棺復元体験の事前学習にも最適です。ぜひご参加ください。

「柵形埴輪の復元製作」 平成20年12月13日・14日開催  

整備事業のなかで、埴輪祭祀場に並べる復元埴輪の製作を進めています。このうち柵形埴輪40点を市民の協力を得て製作します。みなさまお誘いあわせの上ご参加ください。
※技術者の指導を得ながら仕上げの作業を行います。

「摂津三島の古代に挑む」  平成20年10月4日開催 

 三島地域には、日本史上に欠くことができない歴史遺産が数多く残ります。講演会は、今城塚古墳を含むこれらの遺産にスポットをあて、三島の歴史性を再認識しようと開催されました。

古代体験イベント「千人で引く大王の石棺」  平成17年8月28日開催

今城塚古墳の第1次整備地を舞台に、地元小学生や一般公募の市民など約2500人が参加。フィナーレでは阿蘇ピンク石製の復元石棺と修羅、合計9トンを約450人が引き、大きな反響を呼びました。

古代体験イベント「千人で引く大王の石棺」の様子

復元石棺と修羅は、熊本県宇土市のみなさんを中心に組織された
「大王の棺実験航海実行委員会」の協力を得ました。

歴史シンポジウム「継体大王とその時代」   平成17年9月25日開催

 最新の調査成果を紹介するとともに、広くアジアの視点から継体大王と今城塚古墳を捉え直そうと開催しました。
1000人以上の参加者が、講師の先生方の論議を熱心に聞いていました。その記録が単行本となって出版されています。

古代の匠に挑戦!!-石棺復元体験事業-   平成18・19・20年度開催

 今城塚古墳の発掘調査で確認された3基の石棺を、市民参加で復元するプロジェクトです。兵庫県加古川産の竜山石、大阪二上山産の二上山白石、熊本県宇土産の阿蘇ピンク石(馬門石)で復元された3基は「今城塚古代歴史館」で展示しています。

フォーラム「石で作る 石で運ぶ」

竜山石製復元石棺

製作中の二上山白石製復元石棺
お問い合わせ先
高槻市 教育委員会 教育管理部 文化財課 今城塚古代歴史館
住所:高槻市郡家新町48-8 地図
電話番号:072-682-0820
FAX番号:072-682-0930
お問い合わせフォーム(パソコン・スマートフォン用
お問い合わせフォーム(携帯電話用
※フォームでのお問い合わせは回答までに日数をいただきます。
お急ぎの場合は必ずお電話でお問い合わせください。

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