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いにしえ物語最終話 大塩平八郎探索一件 四

屋敷に放火し一揆を挙行

鍬形の兜をかぶり一揆

さて、天保八年二月六日から三日間、大坂市中で一風変わった施行がありました。場所は安堂寺町五丁目の本屋会所。実施したのは書店河内屋一族でしたが、資金六百三十両余りは大塩の蔵書を売った金でした。施行札は門人の子で配布されました。

大塩平八郎の門人たちは、施行札一万枚を配る時、天満に火事があれば必ず駆け付けてくれと申し渡しました。金一朱(一両の十六分の一、今の六千円程度)の施行を受けた農民たちを一揆に参加させようとしたもので、有名な「檄文(げきぶん)」とともにこの一揆の周到な計画性を示しています。

はたして施行のあった日から十日程のちの二月十九日朝、突如天満与力町の一角から、火の手が上がりました。火元は大塩の屋敷、いわゆる私塾「洗心洞(せんしんどう)」。猛火のなか、平八郎は鍬(くわ)形の兜をかぶり、黒い陣羽織を着て、門人二十数人の先頭に立ちます。「救民」と筆太に書いた幟(のぼり)が押し立てられます。市中一揆のぼっ発です。

大塩の「挙兵」計画は、檄文などがすでに前年の十二月前から用意されていましたが、その日程が具体化したのは、二月二日ごろといわれています。新任の西町奉行堀利堅(としたか)の恒例の市中巡察が十九日にあり、平八郎の屋敷の真向かいの朝岡助之丞(すけのじょう)宅で午後四時ごろ休息すると発表されたのです。これには東町奉行跡部良弼(よしすけ)も同行するので、この時不意に挙兵して二人を討ち取り、続いて天満組屋敷や豪商宅を焼き払う手だてでした。

しかし、この計画は二つの齟齬(そご)で大きく失敗します。

一つは門人平山助九郎・吉見九郎右衛門が相次いで町奉行に密告し、事態を知った平八郎がやむなく決起を早めたこと、今一つは一万人に施したものの、一揆に参集したものわずかに八百人たらず、それも決行まもなくの段階では三百人ほどだったのです。

この騒ぎに驚いた住み込み門弟の服部末治郎(十三歳、高槻藩士服部奥助(おうすけ)の息子)などは仲間と逃げ出したといいます。

続く

注釈:この内容は、平成4年1月25日から平成7年9月10日まで、広報たかつきに連載されていた「新・いにしえ物語」をホームページに再掲したものです。

いにしえ物語最終話 大塩平八郎探索一件 五

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