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いにしえ物語最終話 大塩平八郎探索一件 十一

飛び交う逃亡の噂

市内北部の風景(川久保付近)

樫田を支配する丹波の亀岡藩も同様でした。大塩一党が池田から妙見山に入るという噂があり、丹波の桑田郡も警戒対象になりました。国境の犬飼・別院の村には藩兵をでばらせ、能勢から島上の摂津路にかけては隠密六人を放って情報を集めたといわれます。亀岡の家中では惣登城に向け成人男子を一斉待機させるなど、まさに戦に臨む態勢でした。

奈良の南都奉行所でも二十日夜には大坂から厳命が届き、「和州在町厳しく手配致し国境暗(くらがり)峠辺其外」を固めており、「五畿内は実に蟻の這ふ処これなき様」(『野里口伝』)という有り様でした。

こうした厳しい探索のなか、逃げきれないとさとった一党は、二月下旬ごろから次々と自殺したり自首したり、あるいは捕縛されたりして幕府役人の手に落ちました。しかし、大塩平八郎父子のゆくえはようとして知れませんでした。

このため、逃亡先の噂が次々と飛び交うことになり、町奉行所の捕縛隊はそのたびに右往左往したといいます。

その噂を『新修大阪市史』からひろってみますと、摩耶山(まやさん:神戸市)、甲山(かぶとやま:いわゆる六甲山、西宮市)などの近郊の外、吉野の山奥へ逃れたか、薩摩国(鹿児島県)へ落ちたかともいわれ、二十九日には加賀藩に白山(はくさん:石川県)の探索さえ依頼しています。また、伊豆国(静岡県)韮山(にらやま)代官江川太郎左衛門などは、「伊豆は南の海に張り出しているので徒党の者が上陸しないとも限らない」と真剣に心配したといいますから、そのあわて方は大変なものでした。それもこれも、大塩平八郎が「生きていたならば、かならず何事をか起こすにちがいない」という危機感に突き上げられてのこと。それは、前代未聞の事件というだけでなく、救民=世直しを求める民衆の気分を、為政者も広く感じていたためだともいえましょう。

高槻市域についての話としては、神峰山寺が大坂手寄りの方角だとして大塩らが立てこもるという風聞があり、亀岡藩から二回にわたって取り調べに入ったことがよく知られています。

ところで、実はもう一つ、高槻にかかわることで新しい話がわかりました。同じころ、大塩が本山寺に隠れたとの風聞があったのです。

続く

注釈:この内容は、平成4年1月25日から平成7年9月10日まで、広報たかつきに連載されていた「新・いにしえ物語」をホームページに再掲したものです。

いにしえ物語最終話 大塩平八郎探索一件 十二

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