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いにしえ物語最終話 大塩平八郎探索一件 十三

情報源は順番飛脚

火を放ち一揆を決行

この日記というのは私的なものではなく、役職の実施状況を記録した公用の業務日誌のようなものですが、天保の当時の筆者小島甚左衛門は下雑色の一員。上雑色に従い、祇園祭の警備もし、捕物道具を携えて村で捕まった泥棒の受け取りにも出かけるという立場でした。

甚左衛門が、京都町奉行所の一角の雑色部屋で大塩平八郎の一揆を知ったのは、事件の翌日でした。「昨十九日朝五ツ(午前八時)時分、大坂御奉行跡部(あとべ)山城守殿御組天満与力大塩平八郎宅より出火、右は一揆起こり、所々へ火を附け候よし、(中略)六、七か所より燃え上がり中々火鎮まり申さずよし、鉄砲・石火矢・車台にて家々へ打ち込み候よし、槍・長刀・抜き身を持ち居り候よし、右一揆は大塩平八郎発頭人にて河州(河内)辺の百姓等二、三百人も加入致し候よし、(中略)西の御番所・牢屋敷等も焼失のよし」とあり、比較的正確な情報を記しています。

また、平八郎は「具足(ぐそく)着し、幡(はた)を立て、差図(さしず)致し候よし、諸大名方蔵屋敷へ取り掛かり候ハゞ、鉄砲にて打ち散らし候様、御城代より御下知の趣」と、大坂城代の対応を特徴的に伝えながらも、筆者自身は、「いまだ実説の義あい分からず、風聞に候事」と、慎重です。

情報源は、大坂表から定時に入ってくる「順番飛脚」のニュース、山崎・淀・伏見など要所に出役・常駐している組与力からの注進で、したがってその中には「右大塩平八郎、自分器量これあるをお用ひこれなき儀を心外に存じ、右の通り騒動致させ候よし」、つまり、平八郎は自分の有効なはずの政策提言が採用されなかったことに不満をもって騒動を引き起こしたのだという、城代・町奉行サイドで合意・決定された、主観的な評価もつけ加わっていました。

こうした報告を受けて京都町奉行所では、一応与力・同心一人ずつに雑色の配下四人をつけて、御所近辺の見回りに出します。京都の治安に関する当時の幕府の関心はなによりも皇居が中心だったのです。

最初は対岸の火事の感覚だった町奉行所も、翌二十一日、所司代松平信順(のぶまさ)の厳命が下ると、急遽雑色全員に探索の任が課せられます。しかし京都周辺には平八郎の影はなく、「張本(ちょうほん)平八郎居所不分(いどころわからず)」と記録には記されています。

続く

注釈:この内容は、平成4年1月25日から平成7年9月10日まで、広報たかつきに連載されていた「新・いにしえ物語」をホームページに再掲したものです。

いにしえ物語最終話 大塩平八郎探索一件 十四

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