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いにしえ物語最終話 大塩平八郎探索一件 十六

平八郎は京都で自害

本山寺へ続く鳥居(川久保)

甚右衛門一行はふたたび柳谷観音善峰寺から、そのうしろカモシカ嶽を西へつき切り、大沢村の南を五キロメートル一気に上り、本山寺に迫ります。

甚右衛門はその時の様子をつぎのように記録しています。「麓(ふもと)川久保村より二十丁ばかり、険阻の高山にて、大坂その外眼下に見下ろし、寺一ヶ寺ばかりにて他に寺なし、門前在家(門前村の家並み)もこれなく、麓よりは西岡(乙訓長岡)柳谷へ参り候道これあり、なおなお谷あい五十丁にて柳谷へ出候」

ここで記された本山寺周辺の景観は今も変わっていません。

結局、探索はなにも得るところなく終わりました。甚右衛門はその日二十四日タ刻、向日町で待っていた目付方与力に報告を上げ、「全く事治定(ことじてい)」と認められてその夜帰京。この件を統括していた東町奉行所公事方へ出向き、ようよう帰宅することができたのです。

このように、平八郎は高槻では捕まりませんでしたが、のち二十七日、平八郎の妻(士分の妻として正式な届は出ていませんでしたが)とその実父、息子の妻や孫たちなど、家族が、京都六角高倉あたりの旅館で捕まっています。彼らは六角堂参拝の西国巡礼というふれこみだったともいわれ、能勢妙見を回って京都にたどり着いたという風説もありますから、北摂から柳谷、老ノ坂から嵯峨、あるいは丹波街道を経て京へ入ったのは家族の方だったことになります。

平八郎はそのころ大和路を回っていたといわれています。そして、一か月後の三月二十七日、大坂靭(うつぼ)油掛町の手拭(てぬぐい)地仕入職美吉(みよし)屋五郎兵衛宅に潜んでいるところを発見されて、息子格之助ともども、火薬で火を放って自害したのです。

続く

注釈:この内容は、平成4年1月25日から平成7年9月10日まで、広報たかつきに連載されていた「新・いにしえ物語」をホームページに再掲したものです。

いにしえ物語最終話 大塩平八郎探索一件 十七

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