|
1.わがまちは歴史遺産の宝庫
|

|
このコーナーでは、郷土・高槻を豊富な歴史遺産や地元ならではのよもやま話を織り込みながら紹介していきます。読者の皆様にとって、新たな高槻を見つけるきっかけになれば幸いです。
|
|
2.「月」から「槻」へ
|

|
古は高月と書す。地名を野身郷高月邑といふ。
乱国の時ここに大木の槻あり。 本陣と定められしより槻の字に改む。
|
|
3.お酒が大好き竹外さん
|

|
旧暦2月の別名、花朝をうたいあげた漢詩「花朝下澱江」の作者は、藤井竹外。 数多くの作品のなかでも、彼の代表作とされています。
|
|
4.阿武山古墳の被葬者は?
|

|
昭和9年(1934)に、「貴人の墓発見」として大々的に報道されたのが阿武山古墳です。
|
|
5.富田の町並み
|

|
高槻市の西部にある富田。現在はJRや阪急の駅周辺を核として発展をつづけていますが、 かつての富田の町並みは、駅の南方にある筒井池を中心に広がっていました。
|
|
6.名産服部煙草
|

|
江戸時代の中頃、高槻で良質なたばこが生産されていました。たばこの名前は地名にちなんで「服部煙草」。
|
|
7.未開封のタイムカプセル
|

|
闘鶏山古墳は、古墳時代前期(4世紀前半)の前方後円墳で、三島古墳群を代表する古墳のひとつです。
|
|
8.淀川三十石船
|

|
淀川三十石船は、全長約11m〜15m、幅1.8m〜2.1mといわれ、船頭4人、乗客定員は28人の乗合船。
|
|
9.食らわんか〜くらわんか〜
|

|
江戸時代、三十石船をはじめ淀川を通行する多くの船を相手にした商売がありました。
|
|
10.安満宮山古墳と邪馬台国
|

|
三島古墳群のなかでも早い時期につくられた安満宮山古墳。高槻市東部の安満山の中腹に築かれました。
|
|
11.寒天づくり
|

|
ノンカロリーで食物繊維を多く含み、健康食品として見直しがすすむ寒天。 寒天はテングサを煮出してつくるトコロテンを、凍結・乾燥させた加工食品です。
|
|
12.古曽部入道 能因
|

|
能因法師は、俗名を橘永トといい、長和2年(1013)、26歳で出家。和歌を当時の第一人者・藤原長能に学びました。
|
|
13.富田の酒づくり
|

|
富田は池田、伊丹とならぶ「北摂三銘酒」のひとつに数えられるお酒の名産地です。
|
|
14.伊勢と伊勢寺
|

|
伊勢は三十六歌仙の一人であり、百人一首にも取り上げられた当代一流の女流歌人でした。
|
|
15.古曽部のやきもの
|

|
古曽部焼は江戸時代後期から明治時代末にかけて、古曽部村の五十嵐家4代の陶工が営んだ、いわゆる地方窯です。
|
|
16.聖徳太子と大工たち
|

|
江戸時代の芥川村清福寺は、上方大工組のひとつ「清福寺組」が本拠とした大工村でした。
|
|
17.石川年足の墓
|

|
江戸時代に高槻で唯一の国宝とされる金銅の墓誌がみつかりました。
|
|
18.キリシタンたちの墓地
|
|
|
天主教会堂付属のキリシタン墓地から、合わせて27基の木棺が出土しました。
|
|
19.東大寺の瓦を焼いた梶原寺の瓦窯
|

|
天平勝宝8年(756)、造東大寺司が梶原寺に6,000枚の瓦を発注しました。
|
|
20.埴輪がつくられた新池埴輪製作遺跡
|

|
市の西部、土室の丘陵上にある、古代の埴輪工場(こうば)跡です。
|
|
21.今城塚古墳の埴輪祭祀場
|

|
今城塚古墳の埴輪祭祀場から、家、器台、大刀、盾、巫女、武人、力士、鳥など、136点以上の形象埴輪が発掘されました。
|
|
22.水への祈り
|

|
春日神社で雨乞いが最後に行われたのは大正9年(1920)。7日間にわたり神事が行われました。
|
|
23.日本各地を旅した似雲法師
|

|
似雲法師は、寛文13年(1673)生まれ。京都で武者小路実陰について和歌を学びました。
|
24.フロイスのみた高山右近
|

|
戦国時代末期、高槻城主であった高山右近は、多才な人物で、利休七哲の一人に数えられる茶人でもありました。
|
25.竹が大好き竹外さん
|

|
幕末から明治に活躍した漢詩人・藤井竹外は、七言絶句を最も得意とし、「絶句の竹外」とも呼ばれていました。
|
|
26.金龍寺の盛衰
|

|
金龍寺は、邂逅山紫雲院と号した、天台宗の寺院です。
|
|
27.三島江
|

|
三島江は、奈良時代から「淀の玉江」として、淀川の自然を代表する歌枕であり、多くの和歌に詠まれてきました。
|
|
28.上宮天満宮
|

|
菅原道真をまつる上宮天満宮は、大宰府に次いで古い、全国2番目の天満宮という古い由緒を伝えています。
|
|
29.七卿落ち
|

|
芥川宿の脇本陣には、七卿落ちの時に公家たちが泊まったという言い伝えが残っています。
|
|
30.槍術天下一・藤井又一
|

|
藤井竹外の息子、又一は九州柳河藩の加藤善右衛門に入門、天下一の槍の名手として広く知られていました。
|
31.本照寺と富寿栄の松
|
|
|
本照寺には、かつて30m四方もの範囲に枝を広げた、国の天然記念物「富寿栄の松」がありました。
|
|
32.富田停車場開設
|
|
|
大正13年(1924)7月25日、国鉄(現JR)東海道本線の高槻・茨木間に摂津富田停車場(駅)が開設されました。
|
|
33.摂津の玉川
|
|
|
玉川の里に咲く「うのはな」は、平安時代から古歌の歌枕として知られています。
|
|
34.鵜殿の葦
|
|
|
高槻市の東部、道鵜町の淀川河川敷に広大な「鵜殿のヨシ」が群生しています。
|
|
35.野見神社と永井神社
|
|
|
毎年初詣や十日戎、七五三でにぎわう野見神社。境内には、寛政5年に創建された永井神社があります。
|
|
36.芥川の一里塚と宿場町
|
|
|
江戸時代の旧芥川宿は、芥川一里塚から西へ二丁(約210m)先の芥川橋まで軒をつらねていました。
|
|
37.阿久刀神社
|
|
|
阿久刀神社は『延喜式』(927年成立)にも記載されている古い神社です。
|
|
38.神峯山寺
|
|
|
天台宗・根本山神峯山寺は、紅葉の名所として知られています。
|
|
39.笠森稲荷
|
|
|
笠森神社は、江戸時代には笠森稲荷とも呼ばれ、多くの人々の信仰を集めていました。
|
|
40.神服神社と服部
|
|
|
神服神社は、摂津峡につながる帯仕山のすそにある服部盆地の一番奥に鎮座しています。
|
|
41.三好長慶の水論裁決
|
|
|
芥川での灌漑用水の施設である井堰の場所をめぐる水争いについての文書が残っています。
|
|
42.芥川山城
|
|
|
芥川山城の遺構は主郭・副郭・土塁・堀切という中世山城の要素を備えており、その様子が今も残っています。
|
|
43.戦国時代の高槻城主 和田惟政
|
|
|
和田惟政は近江国甲賀郡油日・和田(現滋賀県甲賀市)の土豪で戦国時代に織田信長の配下として活躍しました。
|
|
44.高槻藩主・永井直清
|
|
|
慶安2年(1649)、8月25日の早朝。永井直清は家臣をひき連れ、藩主として高槻城に入部しました。
|
|
45.北山 本山寺
|
|
|
本山寺の本堂は急な石段の上に建っており、裏手にはポンポン山へと続く登山道の入口があります。
|
|
46.普門寺
|
|
|
寺内町として栄え多くの寺社が立ち並ぶ富田町の一角に臨済宗・慈雲山普門寺はあります。
|
|
47.樫船神社と神宮寺
|
|
|
樫船神社は盆地最奥の尾根上に、神宮寺は田能川東岸の山裾に位置し、あたかも、地域を見守るかのように立地しています。
|
|
48.大塚切れと洪水記念碑
|
|
|
大正6年10月1日、大塚の堤防が台風による連日の大雨により決壊、高槻町に甚大な被害をもたらしました。
|
|
49.南山 安岡寺
|
|
|
江戸時代の安岡寺は、長い参道から続く山腹にある境内に、ひっそりとたたずむように建っていたようです。
|
|
50.最終章 高槻の地が語りかけるもの
|
|
|
『大王の国から』シリーズも今回が最終章となりました。1年間、ご愛読いただきまして、ありがとうございました。
|
このページの上部へ戻る
|