| 戦国の時代には、高山右近が高槻城主となり、一時、天主教会堂やセミナリオなどが建てられたとも伝えられています。また、江戸時代には牛頭(ごず)天王や八幡神などが祭神でしたが、明治時代に入り、政府の神仏分離令に従って、スサノオノミコトと野見宿祢命(のみのすくねのみこと)が祭神として祀られました。
永井神社は、野見神社の摂社で、本社本殿の東側に社殿があり、寛政5年(1793)、永井直進(なおのぶ:永井家第9代・高槻城主)によって初代直清の霊神を祭神に勧請し、創建されました。
その後、嘉永元年(1848)に永井家第11代城主永井直輝が直清の高槻城入城二百年を記念して社殿を修復し、新たに唐門と拝所を造立しました。特に、社殿の構成やその技法に江戸時代の藩政期の特色が見られます。また、唐門の彫刻は拝殿の拝所彫刻とあわせて、建築における彫刻装飾の優品ということができます。
拝殿には三層の天守閣がそびえる、かつての高槻城の姿が描れた絵馬が、明治11年に旧高槻藩士によって奉納されています。高槻城は明治時代の初めにすべてが破却されたため、今日では往時の姿を知りえませんが、この絵馬はありし日の高槻城の様子を伝える大変貴重な史料といえます。
毎年初詣や十日戎、七五三でにぎわう野見神社と直清が祀られている永井神社。今も昔も変わらず、多くの人々が詣でる姿がみられます。
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