富田は池田、伊丹とならぶ「北摂三銘酒」のひとつに数えられるお酒の名産地です。酒造りに適した良質なお米、阿武山系から流れ下る良質な水、丹波・丹後からの農閑期の労働力など、昔から酒造りに必要な条件を備えていました。
江戸時代の初めに、富田の酒造りは隆盛をきわめ、最盛期には24軒もの造り酒屋があったと伝えられています。その中心に位置したのが、清水市郎右衛門(屋号・紅屋)でした。清水家は、関ヶ原の戦いのとき徳川軍に協力した功績で、凶作の時でも酒作りが許されるなどの特権的な酒造りの免許(由緒株)を与えられたといわれ、将軍御目見えも許される家柄となりました。 江戸の町にも知られた銘酒「富田酒」。芭蕉の弟子、宝井其角(1661〜1707)の作と伝えられる、前後どちらから読んでも同じ回文(かいぶん)俳句がのこっています。
この句にある「あやめ」とは、紅屋の酒の銘柄で、当時、江戸にまで知られた銘酒でした。江戸時代中期以降、灘の酒造業の勃興に伴って、生産量は次第に縮小され、さすがの紅家も幕末頃には酒造りをやめてしまいました。しかし、酒造りの伝統は、現在も受け継がれ、今も2軒の造り酒屋が富田の地酒を守り続けています。また、富田は大阪で初めて「地ビール」がつくられた地でもあり、シーズンには芳醇な香りがあたりに漂っています。