4.阿武山古墳の被葬者は?


夾紵棺内
夾紵棺

 茨木市との境にある阿武山の中腹(標高約200メートル)にそびえる、少し目立つ白い塔は京都大学阿武山地震観測所。昭和9年(1934)に、この観測所の拡張工事が行われたとき、「貴人の墓発見」として大々的に報道されたのが、阿武山古墳です。埋葬された人物は、大化元年(645)の「大化の改新」の立役者の一人であり、藤原氏繁栄の基礎を築いた中臣(藤原)鎌足(614〜669)だといわれています。

 その根拠は、『多武峯略記』(とうのみねりゃくき)などが記す、鎌足は山階(山科)に埋葬された後、安威山を経て、大和(奈良)の多武峯へ葬られたという記事にあります。また、

 夾紵棺(きょうちょかん:漆で固めた棺)内からは、美しい錦の残片や玉枕、金糸などの豪華な品々が発見され、金糸から復元された冠帽(かんぼう)の立派さやX線写真の解析で判明した被葬者の死亡状況などから、鎌足説が強くなってきています。

 しかし、古墳から出土した土器は、七世紀の中ごろのものといわれており、鎌足の没年よりも古い時代の人物だったとも想定できます。まさに、謎につつまれた古墳です。


阿武山古墳

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