続いにしえ物語6 地名「高槻」の由来 四

槻の木に託す村の発展

槻の木

では「高月」がどうして「高槻」になったのでしょうか。
古来、この地に、その象徴となった槻の木があったという話は様々なかたちで伝わっています。

さきの『摂津名所図会』には「乱国の時(いわゆる戦国時代)ここに大木の槻あり、本陣と定められしより槻の字に改ム」といい、「村誌」はこれをうけて「応永(一三九四~一四二七年)の頃一ノ大槻アリ、高二十丈、森然枝葉繁茂シ、日光ヲ遮蔽シ、白日猶暗々、因テ月字ヲ改メ槻字ヲ用ユ」と書いています。

「村誌」のは少し書き過ぎの感がありますが、天坊博士も古事記仁徳天皇の段の「朝日には淡路島に影をさし、夕日には高安に影をさした」槻の大木伝説を紹介されており、これは難波の話ですが、槻の大木伝説が畿内に広く流布していたことが伺えます。『三島地名考』だけは、この槻の木を月弓社にかけて、弓の料木で社頭に植えられた神木だとしています。

さて、そろそろまとめに入りましょう。
十三世紀以降発展した安満庄の西辺、小さな丘の麓に住む庄民が一つの社を設けました。それは天月弓杜(あめのつきゆみのやしろ)、また高月読杜(たかのつきよみのやしろ)と呼ばれ、その村はいつか高月と名付けられました。やがて村は大きくなり入江氏の屋形が城に姿を変えるころ高月は「高槻」と書かれるようになります。それは槻の大木伝説に豊かな郷村への願いを託した村人達の心でした。その心の伝統は今もなお続いています。

注釈:この内容は、昭和61年1月25日から平成元年6月25日まで、広報たかつきに連載されていた「続・いにしえ物語」をホームページに再掲したものです。

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