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50.最終章 高槻の地が語りかけるもの(2)

上空からみた芥川山城跡のある三好山

次に、中・近世へと時代を進めると、高槻市の代表的な二つの城郭によって、この地の歴史が彩られていたことが見えてきます。

 その一つは、市の北西部に位置する三好山に築かれた芥川山城です。永正12年(1515)、ときの管領細川高国が摂津の国人能勢頼則に築城させたと伝えられ、天文22年(1553)には、三好長慶が淀川流域から大阪平野まで一望できる利点を活かし、永禄3年(1560)に飯盛山城に移るまでの7年間にわたり、この地で芥川政権時代を築いています。
もう一つは、市の中心部、現在「しろあと歴史館」のある高槻城です。正暦元年(990)近藤忠範が平地の小さな高まり・久米路山を根拠地としたのが始まりと伝えられ、天下統一を進めた織田信長や豊臣秀吉、そして関ヶ原の戦い(1600)以後は徳川家康の直轄するところとなった城で、元和3年(1617)、西国経営の要としての城修築を契機に、近世城郭へとその姿を変えていきました。

この二つの城郭は、応仁の乱(1467)を契機とする下克上・群雄割拠の戦国時代を経て、天下統一・幕藩体制の成立にいたる歴史上の大変革の流れに翻弄される高槻の地で、芥川山城にあっては三好長慶・細川晴元らが、高槻城にあっては、和田惟政、高山右近、永井直清らが歴史上にその名を残し、朝廷政治から武家政権、そして幕藩体制の成立という時代のうねりの中で、京都・大阪を結ぶ水陸両運の要地の拡大、発展、継承にときの政権がいかに力を注いできたかを物語っています。

高槻城絵馬・部分(野見神社蔵)

さて、『大王の国から』も今回で最終章を迎えました。1年間にわたりご愛読いただきまして、ありがとうございました。このシリーズで取り上げたものは高槻の歴史のほんの一部ですが、古墳時代や、代表的な二つの城郭からも、高槻という地が古代国家の形成過程の変化点にあって、その中心的役割を果たしていた姿や、また、時代の変革期に翻弄される姿などが浮彫りとなって見えてきました。

また、全50話にのぼった『大王の国から』を通じて、改めて高槻の地が語りかけてくる声に耳を澄ましてみると、旧石器時代(約2万年前)から続く悠久の歴史の中で、この地が、都市形成に欠かせない豊かな水をもたらし、さらに大量の人やモノを運搬し経済活動を支えた三島江浜を始めとする河港を擁した淀川の流れに育まれた土地であることと、京都・大阪を結び常に人々が行交う西国街道が東西に走る立地であるということ、これらの地理的な諸条件こそが、高槻の歴史を育んだ源であり、そこに残る幾多の文化財は、私たちに高槻の歴史を語りかける貴重な財産として、そこに住むものの誇りであると感じずにはいられません。

そして、ここ高槻の地が育んだ歴史的、文化的遺産を未来に継承していくことが、今私たちに託された役割ではないでしょうか。

関連リンク

芥川山城跡

しろあと歴史館

高槻城跡

43.戦国時代の高槻城主 和田惟政

24.フロイスのみた高山右近(高槻城主への道)

44.高槻藩主・永井直清

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