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50.最終章 高槻の地が語りかけるもの(1)

淀川

高槻市は大阪平野の北東に位置し、南北約22km、東西約10kmと南北に長く、その面積は約105k平方メートルに及びます。北は北摂山地に連なる丘陵と山並みに囲まれ、南は宇治川・木津川・桂川の三川合流地点から大阪湾へと注ぐ淀川に抱かれたこの地域は、地理的にも歴史的にも淀川を軸として、古代にあっては山陽道が、中・近世にあっては西国街道が、都である京都と外海への玄関口である商都・大阪とを結ぶ水陸交通の要所として栄えてきました。 

 JRや阪急、国道など、京都・大阪間を結ぶ交通機関が整備された現在でも要所としての高槻の役割は変わらず、私たちの生活のすぐそばに、古代から近世・近代に及ぶ長い歴史の中で育み培われ、そして、大切に継承されてきた先人のあゆみが数多く貴重な文化財として残っています。その一つひとつを一本の線で繋ぎ、日本の歴史の上に照らし出してみると、高槻という土地の歴史的特性が見えてきます。

今城塚古墳で平成17年8月28(日曜日)「千人で運ぶ大王の石棺」のイベントで行われた修羅引きの様子

まず、古墳時代(3~7世紀)の高槻の様子から、どのような特性が見えてくるのでしょうか。

現在の高槻市公園墓地内で発見され、その副葬品の中から中国・魏の年号「青龍三年(235)」銘のある方格規矩四神鏡などが出土した「安満宮山古墳」は、3世紀の邪馬台国時代の古墳であり、次に現在の高槻市立第二中学校の北側で発見され、淀川北岸で最初に築かれた王墓で前方後円墳である「岡本山古墳」は、3世紀後半の古墳時代前期のものです。

さらに、淀川流域最大の二重の濠をもつ前方後円墳で、学術研究面から真の継体天皇陵とされる「史跡 今城塚古墳」は6世紀前半の古墳であり、そして、京都大学地震観測所に隣接し、蘇我入鹿暗殺、大化の改新(645)を中大兄皇子(天智天皇)と二人三脚で推し進めた中臣鎌足(藤原鎌足)の墳墓であると考えられている「史跡 阿武山古墳」は、7世紀に築かれています。

これらの市内に残る著名な古墳等を歴史的視点でつなげれば、その造営時期が3世紀から7世紀にいたる古代国家の形成過程の変化点にあることがわかってくると同時に、それぞれが時代のさきがけという時期に、地域支配の中心として、そして、国家胎動期の証として、その姿が見えてきます。

関連リンク

西国街道と芥川一里塚

安満宮山古墳

岡本山古墳・弁天山古墳

史跡今城塚古墳

史跡阿武山古墳

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