現在の位置

49.南山 安岡寺

江戸時代の観光ガイド『摂津名所図会』に描かれた安岡寺は、長い参道から続く山腹にある境内に、ひっそりとたたずむように建っています。昭和7年発行の清水村誌には「安岡寺ハ安岡寺山ノ半腹ニアリ、南山ト号シ般若院ト称ス。(中略)境内ハ一三八五坪ヲ有シ本堂、庫裏、宝蔵、水屋、鐘楼、土蔵、薬医門、仁王門ヲ存ス。外二開山堂、阿弥陀堂、薬師堂アリ堂後ニ般若塚アリ。」と記され、その頃の様子を伝えています。今は住宅が張りつき、安岡寺山の面影は見る影もありませんが、境内のたたずまいに当時の風情を残しています。

安岡寺(摂津名所図会より)

安岡寺は5世紀前半に諸国の織部の総領として「服部連」の姓を賜ったという古い歴史をもつ旧服部村を見渡せる山腹にあり、古くから多くの人々の信仰を集めていました。また、服部地区にある大蔵司遺跡(弥生時代~鎌倉時代)からは12世紀後半頃のものと思われる阿形の仁王像の頭部片が発見されています。資料からは、当時、「大蔵司」という地名の元となった「大蔵寺」というお寺があったことがうかがえ、仁王像はその山門のものと考えられています。

 平安時代末から鎌倉時代にかけては山岳仏教の興隆期で、三島地域においても多くの天台宗寺院が営まれていました。この「大蔵寺」もその状況から天台宗山門派の寺院と考えられており、当時の山岳密教寺院の特徴が本院・奥の院の関係をなすように建てられるという特徴をもつことから、神峯山寺・本山寺と同様に、大蔵寺は安岡寺と対をなす寺であると読み取ることができます。また、安岡寺は、神峯山寺・本山寺と同じく、宝亀年間(770年頃)に光仁天皇の子、開成皇子(かいじょうおうじ)が創建したと伝えられている山岳寺院のひとつでもあります。

 安岡寺の本尊は秘仏で開成皇子の作と伝えられる如意輪観音。本堂の背後の山には、開成皇子の弟子であった開智(かいち)が一字一石の大般若経を書写した般若塚があります。この大般若経を本堂の背後の岡に安置したことから、安岡寺般若院と呼ばれるようになったと伝えられています。現在も石塔が祀られており、仲秋の名月の日には、万燈供養が行われ、参詣の人々のとなえる般若心経が周囲に響きわたります。また、節分の先がけとして2月1日には、大護摩供養が行われ、周辺から多くの参詣者が訪れます。この大護摩供養では、本堂の東側に祀られている弘紹不動明王を本尊とし、大勢の大峰山の行者が大護摩を焚き、火渡り式を行います。

千手観音坐像

境内に建つ青梅観音堂には、昭和49年6月に重要文化財に指定された千手観音坐像が納められています。この千手観音像、木造寄木造で高さ137cm、当初の部分をよく残す平安時代の優品です。もとは真上にあった安正寺の本尊でしたが、明治3年(1870)に廃寺になったため客仏として、安岡寺に移ってきました。『摂津名所図会』によると、安正寺に安置されていた時、そのお堂の前に梅の古木があったようです。不思議なことに、その梅の実は青いままで落ちることがなかったため、青梅の観音といわれるようになったと記されています。

安岡寺は大護摩供養、万燈供養などの年中行事のほか、大晦日には大勢の人々が詣で除夜の鐘をつき、元旦には初詣でにぎわうほか、新西国三十三ヶ所観音霊場の客番に数えられ、季節の節目ふしめに多くの人々が訪れています。

安岡寺の問い合わせ先

安岡寺(高槻市浦堂本町41-1)
電話 072-687-0727

関連リンク

安岡寺

桜の園コース

  • しろあと歴史館
  • いましろ 大王の杜
大王の国から
  • 調査・研究
  • 歴史・文化のふるさと豆知識 大王の国から