現在の位置

47.樫船神社と神宮寺

当所鎮守大明神□□
貞応□ 丙午手釿始 同十二日□
九月一日 丙午棟上 同三日甲戌宮口□
銭十五文了奉加進為後□
貞応元 壬午 年九月八日注之   僧定勢

当所大明神御正躰弐躰   願主藤井国方縁共佐伯氏女
大明神御本地観音      願主佐伯末清同守安縁女末貞縁共女同貞永藤井氏女
女体御前本地大日如来   願主佐伯末貞供御衆同守安同貞文
黒迦羅御前本地阿弥陀仏  各丁縁共□□
右奉為懸意趣者、信心施主各二、求満願成就円満子々孫々安穏太平殊庄内安穏諸人快楽也貞応二年 歳次癸未 三月三日 為向後注之

「樫船神社の棟札」より

樫船神社

高槻市の最北端にあって、京都府亀岡市に接する樫田地区は、標高360メートルの田能盆地を中心に、周りを山々に囲まれた農山村のたたずまいが、今に残る自然豊かな地域です。
その中央を流れる田能川は市域を流れる芥川最上流の支流のひとつで、川沿いを丹波街道が通っています。樫船神社は盆地最奥の尾根上に、神宮寺は田能川東岸の山裾に位置し、あたかも、地域を見守るかのように立地しています。

山裾沿いには、平安時代初期(9世紀)から鎌倉時代(13世紀)にかけて営まれた建物跡や炉跡で構成する屋敷などの建ち並ぶ集落跡が発見されています。また、樫船神社西方には臨済宗妙心寺派の桂香寺があり、その裏山を城山と呼んでいます。城山には石垣や井戸などが散見でき、明智光秀が居城した亀山城の支城であった田能城跡と伝えられています。

鎌倉時代初期の丹波国桑田郡田能庄は七条院(後鳥羽院の母)領のひとつで、安貞2年(1228)の七条院処分目録案には、修明門院(後鳥羽天皇の妃 藤原重子)へ譲られたとあり、皇室領荘園として維持されていたことがわかります。

田能庄鎮守樫船神社、その神宮寺ともに創建時期は不明ですが、神社に伝えられている棟札によると、貞応元年(1222)庄民たちは僧定勢の指導により、社殿の造営と神像・仏像の造立を計画し、願主を募り、貞応元年9月に社殿が完成、翌貞応2年3月(1223)に五体の神像・仏像もできあがったと記されています。
この五体の神像・仏像のうち、大明神男神像と女体御前神像、加えて黒迦羅御前と呼ばれる女神の本地仏たる阿弥陀仏の三体を樫船神社へ、神像それぞれの姿(本地仏)たる観音菩薩像と大日如来像の二体を神宮寺へ安置し、祀ってきたことがわかります。

ただ、樫船神社に安置された黒迦羅御前の本地仏たる阿弥陀仏像一体だけが、田能庄全体の村落構成員とその縁者での費用負担と記しています。その理由は定かでありませんが、おそらく田能庄全体の生活にかかわる重大問題だったのでしょう。庄民の絆の強さを知る資料といえます。

大日如来坐像

大日如来像は、胎蔵界大日如来坐像で像高は95.5センチメートル。頭髪は螺髪(らほつ)、腹前で定印を結び、寄木造、内刳(うちぐり)、目は彫眼で金箔をほどこしています。作風はやや硬いですが昭和35年に全面的に補修され、昭和51年6月に市の有形文化財に指定、保存されています。また、移転の際に伐採されましたが神宮寺には、樹齢480~500年を超えるカキノキがありました。

樫田地区は、京都府南桑田郡田能村が、明治22年に田能村・中畑村・出灰村・杉生村が合併し樫田村となり、昭和33年に高槻市と合併し、現在に至ります。「樫田」という地名の由来は、樫船神社の「樫」と田能村の「田」で、「樫田村」と名づけられました。樫田地区は、樫船神社と神宮寺が中心となって育まれてきました。そして、地域の人々によって祭礼が維持され、今も守り続けられています。

なお、温泉やバーベキューなどが楽しめる「高槻森林観光センター」や、陶芸体験や地元野菜のピザなどが味わえる「せせらぎの里 今城文化民芸館」もあり、都会を離れてリフレッシュするのにもよいエリアです。

樫船神社の問い合わせ先

樫船神社(高槻市田能コブケ8)
電話:0771-22-1023(※亀岡市・鍬山神社)

(外部リンク)樫船神社(大阪府神社庁HPより)

高槻森林観光センターの問い合わせ先

高槻森林観光センター(高槻市大字田能小字的谷2)
電話:072-688-9400 FAX:072-688-9410

(外部リンク)高槻森林観光センター

せせらぎの里 今城文化民芸館の問い合わせ先

せせらぎの里 城文化民芸館(高槻市大字出灰小字二ノ瀬18)
電話:072-688-9090 FAX:072-688-9091

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