現在の位置

32.富田停車場開設

木の香ゆかしき待合室に 群居る人の中にまぢらひ
新らしき停車場を 涙ぐましくも眺めぬ

(中略)
くさぐさの業もさかりに 富の力大きくぞなりゆき
我が村の栄えをみちびく 停車場のなれるを喜ぶ  
       

「祝摂津富田駅開通歌」より

現在のJR富田駅

大正13年(1924)7月25日、国鉄(現JR)東海道本線の高槻・茨木間に摂津富田停車場(駅)が開設されました。

 近世の富田は、酒造や近隣の米・菜種の集荷、干鰯(ほしか)の売りさばきなどで栄えた町でした。幕末から明治にかけての富田は、24軒もの造り酒屋が軒を連ねた江戸時代初期には及びませんが、「酒造の町」の面影を色濃く残し、8軒の酒造家を中心に、樽屋・酒屋といった酒造関連産業や14軒の金融業者など、商工業が盛んな町でした。

 しかし、明治の文明開化が富田に恩恵を与えることはなく、明治9年(1876)に京阪間に開通した鉄道は、富田村を南北に分断し村民に大きな負担を強いたのでした。しかも人びとが鉄道を利用するためには、高槻か茨木まで1里(約4キロメートル)以上も歩かねばなりませんでした。そのため富田に駅を求める声は、開通当時から根強いものがありました。

 大正10年(1921)、富田の人びとは、村はずれにあった信号所の電化をきっかけに、三度目にあたる停車場開設の請願運動を展開しました。この運動は、富田・阿武野・三島の各村長を先頭に繰り広げられ、地元選出の代議士の援助もあり、ついには如是村長も運動に加わりました。その結果、用地の無償提供や地上物件の移転費用負担、駅前道路の新設などを条件に、大正11年(1922)、富田停車場の開設が決定されたのでした。

 大正13年の停車場開設のときは、喜劇や花火、活動写真などの催しがあり、商工業者たちによって結成された「富田商栄社」と呼ばれる一団が屋台を出すなどしてたいへんにぎわったといいます。冒頭の歌からは、約半世紀近くに及んだ停車場開設運動が実った人々の喜びが伝わってきます。

 昭和3年(1928)1月には、新京阪鉄道(現阪急電鉄)の富田駅も開設され、富田は「大坂市内への通勤圏」という新たな役割を担って発展していくことになります。

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