現在の位置

31.本照寺と富寿栄の松

富田にあり。浄土真宗。西本願寺に属す。
草創の時存如上人より光照寺の号を賜う。
(中略)
本山御坊高槻御堂を附与せられ、光照寺を改めて本願寺の一字を蒙(こうむ)らしめ、本照寺と号す。         

『摂津名所図会』より

富寿栄の松

本照寺は、富山あるいは富寿栄山(ふすえざん)と号し、阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗のお寺です。応永34年(1427)、本願寺7世の存如(ぞんにょ)またはその弟子・正信によって光照寺という寺名で創建されたといいます。

 江戸時代に入ると、本願寺13世良如(りょうにょ)の弟、円従(えんじゅう)が入山し、本願寺の「本」の一字をもらい、本照寺と改めました。このとき、本願寺から「富田御坊」の印などが与えられ、これ以後、高槻と茨木の同派寺院の多くを末寺とする本山として、摂津地域の本願寺派の中心となり、隆盛をきわめました。

 本堂前庭には、かつて東西35m、南北25mにわたり枝を広げた、国の天然記念物「富寿栄(ふすえ)の松」がありました。

 
 「むれ鶴の 富寿栄の松葉 枝高く ひろくしげれる 幾千世の陰」とは、公家の冷泉為村(れいぜいためむら)が法要で本照寺を訪れた際、松をみてよんだ和歌で、松の名は為村の命名によります。実は、冷泉家中興の歌人とも呼ばれた為村の母は、本照寺の住持・寂恩(じゃくおん)の娘でした。

 この松は樹齢600~700年ともいわれ、国の天然記念物に指定されていましたが、残念ながら枯れてしまい、昭和46年3月に指定が解除されました。ちょうど筒井池が埋め立てられたのとほぼ同じころで、現在は枝を支えていた数十本の石柱が往時をしのばせるのみです。

 本照寺の本堂は、寛政元年(1789)に焼失。寛政8年(1796)刊の『摂津名所図会』には、本堂跡は空き地に描かれています。現在の本堂は、寛政10年(1798)に再建されたもので、本山格の浄土真宗寺院を代表する建造物として、平成2年(1990)4月に市の有形文化財に指定されています。

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本照寺

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