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29.七卿落ち

実美朝臣 季知卿 壬生沢四條東久世
其他錦小路との   今うき草のさだめなき
たびにしあれば駒さへも   すすみかねては嘶つつ
ふりしく雨の絶間なく   なみだにそでのぬれはてて
これよりうみやまあさちかはら   つゆしもをきてあしかちる
        

舞曲「七卿落ち」より

東久世通禧から贈られた扁額

舞曲「七卿落ち」は、幕末の文久3年(1863)に、長州藩士・久坂玄瑞が七人の公家とともに京都を逃れた際に詠んだものの一部です。詩の後には、「文久三年八月十八日、おもふことありてこの舞曲をうたひつつ都をいで立侍る」という一文が付されています。

 当時の京都では、黒船来航を契機に、開国政策をとる江戸幕府と、天皇中心の政治を唱え、開国に反対する尊王攘夷派の対立が深まっていました。そしていったんは長州藩が後押しする尊王攘夷派が京都を押さえたものの、会津・薩摩両藩が後押しする公武合体派が天皇をとりこみ一夜にして情勢をくつがえしたのです。これが「八月十八日の政変」と呼ばれるもので、皇居から締め出された尊王攘夷派の三条実美ら7人の公卿と長州藩兵は京都から長州へ落ちのびていきました。これを「七卿落ち」といいます。       

 彼らは、19日の未明に京都を出発、雨が降る中を一行は竹田街道から山崎に入りました。夕刻、一行は疲れ果てて芥川宿に到着。街道沿いの脇本陣には、七人の公家が泊まったという言い伝えが残っています。芥川の旧家には、明治になって東久世通禧から贈られた扁額が今も残されています。

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