現在の位置

27.三島江

みしまえの 玉江のこもを しめしより おのがとぞおもう いまだ刈らねど 
        
よみ人知らず『万葉集』巻七 より

『淀川両岸一覧』の三島江浜(右ページ中央に妙見燈籠が描かれている)

三島江は、奈良時代の『万葉集』の昔から「淀の玉江」として、淀川の自然を代表する歌枕であり、多くの和歌に詠まれてきました。

江戸時代には対岸・出口(枚方市)との間に渡し舟があり、北摂と北河内を結ぶ地ということから大変にぎわったといいます。

また、三島江浜とも呼ばれ、北側の唐崎浜とともに、大坂と伏見を結ぶ淀川過書船――幕府から通行を許可された運搬船――などが出入りする河港でもありました。

江戸時代後期に出版された観光ガイド『摂津名所図会』には、淀川を往来した船の様子が「前に淀川の流れを帯びて、難波より京師に通ふ船、夜となく昼となく、櫓拍子に歌うたひて、さし下すあり登るあり」と記されています。

三島江浜と唐崎浜では、肥料や塩、天草などが荷揚げされ、その一方で、富田の酒、原・塚脇の寒天などといった高槻の特産品が積み出されていきました。

三島江の風景は、よほど美しかったのでしょう。『摂津名所図会』には、「蘆間の蛍飛びかふけしき」や「流水溶々として河風凛々たるに、舟より船に酒うる声」「千鳥なく霜寒き夜」など四季の風景をあげ、いずれをとっても「和歌の種ならぬはなし」とたたえています。明治時代に行われた淀川改修によって、江戸時代の三島江浜は今はなくなってしまいました。しかし、『淀川両岸一覧』に描かれた妙見燈籠は堤防の下に移され、私たちに往時の三島江の姿を思い起こさせてくれます。

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