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26.金龍寺の盛衰

山ざとにまかりてよみ侍りける
山ざとの 春の夕ぐれ きて見れば 入相の鐘に 花ぞ散りける

能因法師『新古今和歌集』より

『摂津名所図会』

この歌に詠まれている「入相(いりあい)の鐘」とは、金龍寺(こんりゅうじ)の鐘をさしています。
金龍寺は、邂逅山(たまさかざん)紫雲院と号した、天台宗の寺院です。『摂津名所図会』には「桓武帝延暦年中参議阿倍是雄卿の草創なり。はじめは安満寺と号す。其より百予歳を経て、千観内供再営より金龍寺と改め給ふ」とあり、延暦9年(790)、安倍是雄(あべのこれお)による創建と伝えられ、当初は安満寺(あまでら)と称していました。創建から170年あまり後の康保元年(964)、千観(せんかん)という僧が入って再営し、寺号を金龍寺と改めたといいます。

 天正年間(1573~1592)、高山氏の兵火に焼かれましたが、慶長7年(1602)、豊臣秀頼が再興したと『摂津名所図会』には記されています。

 さて、金龍寺ですが、江戸時代には、桜の名所であり、また松茸狩りの絶好の場所として知られていました。

 『摂津名所図会』の「金龍寺山松茸狩」に、丘の上にござを敷いて火に鍋をかけ、男も女も松茸狩りに興じている様子を見ることができます。この絵柄から、いわゆる行楽シーズンに金龍寺界隈が多くの人でにぎわっていたことがうかがえます。

 しかし、明治以後無住となって荒れ果て、さらに昭和58年(1983)4月、火災のため、本堂は焼失してしまいました。

 現在、寺の跡には石塔・礎石・石垣が残っており、往時の金龍寺を私たちにしのばせてくれます。

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