現在の位置

25.竹が大好き竹外さん

古陵松柏吼天飆 古陵の松柏 天飆(てんぴょう)に吼(ほ)ゆ

山寺尋春春寂寥 山寺 春を尋ぬれば 春寂寥(せきりょう)

眉雪老僧時輟帚 眉雪の老僧 時に帚(は)くを輟(や)め

落花深処説南朝 落花 深き処 南朝を説く

「芳野」

生誕170年を記念して建てられた詩碑の竹外のレリーフ

 

幕末から明治に活躍した漢詩人・藤井竹外(本名は啓または啓二郎)は、七言絶句(七字四節から成る定型詩)を最も得意とし、「絶句の竹外」とも呼ばれていました。冒頭の漢詩はその代表作の一つ「芳野懐古」。大意は、吉野の御陵(後醍醐天皇陵)に風の音がひびく。如意輪寺を花見に訪れたが、花はすでに散っていた。しかし居合わせた老僧が掃除の手を休め、南朝の悲しい昔話を語ってくれた、というものです。

 高槻藩士であった竹外の屋敷は、高槻城内三の丸、現在の高槻現代劇場のあたりにありました。南側は野見神社の神主の住まいで、その庭には立派な竹林があったといいます。

 嘉永元年7月、江戸詰め勤務を終えて高槻に帰ってきた竹外は驚きました。長年慣れ親しんだ風景、屋敷の南側にあるはずの竹林が、ものの見事になくなっていたのです。彼は、その様子を「江戸より至れば則ち蕩然として復一竿を見ず」と記し、さらに竹林を失った悲しみを「竹に哭す」と題した6篇の漢詩に表しました。美しい竹も、斧にかかってはどうしようもなく、竹を惜しみ泣く声は、花を失い泣く声よりもさらに哀しいと、自分の一部が失われたかのような嘆きぶりがうかがえます。竹外は、自らの雅号に竹を織り込んだように、竹への愛着を深めていたのでしょう。この「事件」ののち、屋敷の庭に竹を植え、慈しんだと伝えられています。

 現在、高槻現代劇場の敷地北側に、「藤井竹外邸跡」の詩碑があります。竹外生誕170年を記念して、昭和52年(1977)に建てられたものです。このあたりにあった竹外の屋敷、そしてそこからの竹林の眺めとは、いったいどのようなものだったのでしょうか。

 なお、平成17年3月26日から、市立しろあと歴史館にて、春季特別展「高槻が生んだ幕末の漢詩人 藤井竹外」を開催します。竹外ゆかりの品々や竹外と関わった人々を紹介。さまざまな角度からの竹外を是非ご覧ください。

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