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23.日本各地を旅した似雲法師

八束穂(やつかほ)も 年ある秋に打ちなびき
名さえとんだ(富田)の 里ぞ賑(にぎわ)ふ

『としなみ草』より

 

似雲(じうん)法師は、江戸時代中ごろの歌人として知られています。延宝元年(1673)、安芸国広島猫屋町(現広島市)に生まれ、俗名は金屋吉右衛門といいました。宝永6年(1709)に出家し、翌年、京都に上り、武者小路実陰(さねかげ)について和歌を学びました。

さて、似雲法師と高槻との関係は、富田の造り酒屋の紅屋の当主・清水利恒(としつね)とのやりとりにはじまります。利恒は、和歌や俳諧をよくする文人で、連歌会や観月会などをしばしば催しました。似雲法師もそこに集まった文人の一人だったのでしょう。利恒との出会いを通して、似雲法師は多くの人を知り、また、関東・東北など遠方への旅を実現することとなりました。

松島行脚は、「富士~江戸~松島~日光」という行程で、享保15年(1730)10月から翌年の末まで、一年を超える長旅でした。その帰路、富田の利恒を訪れたといいます。似雲と利恒との関係は後々まで続き、毎月のように、富田の清水亭などで開かれた歌会に参加していたようです。

弘川寺(南河内郡河南町)

似雲法師は、宝暦3年(1753)81歳で没しました。彼の残した歌集には、『としなみ草』全20巻などがあり、似雲は今西行(いまさいぎょう)とも呼ばれていました。それは彼が平安時代の歌人・西行法師の歌風を慕い、西行の足跡をたどり、旅したなかで多くの歌を詠んだことによるのでしょう。似雲法師は、弘川寺(南河内郡河南町)の西行塚のわきに、西行に仕えるかたちで葬られています。

似雲法師の墓がある弘川寺(河南町)

(外部リンク)弘川寺(河南町HPより)

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