現在の位置

17.石川年足の墓

天にはも 五百(いほ)つ綱延(は)ふ 万代に 国知らさむと 五百つ綱延ふ

『万葉集』より
 

この歌は、天平勝宝4年(752)に、中央貴族の石川年足(いしかわのとしたり、688~762)が、国の繁栄を願い詠んだものです。奈良時代中ごろ、年足は藤原仲麻呂のもとで出世し、天平宝字4年(760)に御史大夫に任じられましたが、2年後、天平宝字6年(762)9月1日に平城宮の邸宅で75歳の生涯を終えました。なきがらは、その年の12月1日に摂津国嶋上郡白髪郷(現在の高槻市真上町)の酒垂山に葬られました。

さて、そのお墓ですが、江戸時代後期の文政3年(1820)に発見されました。掘り起こしてみると、木炭で囲われた木箱があり、なかに埋葬された人物について記した金銅板製の「墓誌」と人骨が納めてあったと伝えられています。

石川年足墓誌

墓誌は、長さ約30センチメートル・幅約10センチメートル・厚さ0.3センチメートルの銅板で、表面に年足の系譜や官職などを刻んで周りを細かい唐草文様で飾り、表裏とも金メッキがほどこしてしてありました。

この墓誌によって、埋葬された人物が石川年足であると特定され、また真上の地がかつて白髪郷と呼ばれていたことがわかりました。白髪から真上へと表記が変化したのは、後の光仁天皇(在位770~781)の頃であったといいます。

奈良時代の書体と彫刻技術、さらには当時の貴族や高級官僚たちの墓制をうかがうことができる「石川年足墓誌」は、昭和27年(1952)に指定された高槻で唯一の国宝です。

※墓誌出土地周辺は、民有地のため見学はできません。

石川年足墓誌
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