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16.聖徳太子と大工たち

江戸時代の芥川村清福寺は、京都御大工頭中井家がひきいる上方大工組のひとつ「清福寺組」が本拠とした、大工村でした。清福寺組は芥川宿に隣接し、高槻城下にも近かったことから、仕事も多く、江戸時代中ごろの貞享4年(1687)には、52人もの大工がいたといいます。

清福寺太子堂は、大工組が明和2年(1765)に建てた、一間(約1.8メートル)四方の小さなお堂です。太子堂の「太子」は聖徳太子を指し、かつて堂内には童子姿の太子像が祀られていました。
太子が法隆寺を建立したことや大工道具の曲尺(かねじゃく)を発明したという伝承のためか、中世以降、大工の神様として信仰を集めたと伝えられます。

太子堂建立にあたり、清福寺組の組頭や年寄たちが摂津一円の大工たち(摂州在方大工組)を訪ねて寄付を募り、また修理のときにも手伝いを依頼したといいます。
大工組は各地にあったとされていますが、清福寺太子堂のように大工組の手によるお堂が今日まで残っているのはほとんど例がなく、大変貴重です。

太子堂は、昭和63年(1988)に市の有形文化財に指定され、解体修理して保存されています。

清福寺太子堂 棟札

棟札(表面)

表面

   明和二年
   天下泰平
    五穀成就
     奉納聖徳太子堂造立棟札
    (大工等氏名略)
     城主長久
   村内繁昌
   酉十一月十五日棟上

棟札(裏面)

裏面

摂州嶋上郡芥川村清福寺五社大明神境内ニ往古より小社の跡に壱間四面の太子堂此度造立仕候

清福寺太子堂「明和二年棟札」より

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