現在の位置

14.伊勢と伊勢寺

難波潟 みじかき芦の ふしの間も 逢はでこの世をすぐしてよとや 伊勢

『新古今和歌集』

伊勢画像

小倉百人一首でおなじみのこの歌は、三十六歌仙に数えられる伊勢の作。伊勢は、『古今和歌集』に女性では最多の22首が選ばれた当代一流の歌人でした。伊勢守・藤原継蔭(つぐかげ)の娘で、彼女自身は藤原基経の娘・温子(おんし)に仕えました。伊勢の生没年は明らかではありませんが、天慶2年(939)頃には亡くなっていたようです。奥天神町一丁目の伊勢寺は晩年の住まいの跡といわれています。

伊勢画像(伊勢寺蔵)



慶安4年(1651)、高槻藩主永井家初代・直清は、伊勢寺境内に林羅山による銘文を刻んだ伊勢廟碑を建立。また近くの能因塚にも顕彰碑を建てました。伊勢と彼女の歌風を慕っていたという能因法師、二人の平安歌人を顕彰した直清の文化政策は、のちの『摂津名所図会』が「此所は伊勢御の旧跡なり」と記したように、やがて確たる地域の伝承となっていったのでした。

ところで、昭和35年(1960)、『三十六歌仙絵巻』に描かれた伊勢をモチーフにした記念切手が発売されました。伊勢が没してから1000年以上。彼女の歌人としての名声は色あせることなく、後世に語り継がれていることがうかがえます。

いまひとつ、伊勢寺には戦国武将・和田惟政(これまさ)の墓があります。元亀2年(1571)、高槻城主であった惟政は、白井河原(茨木市)の合戦で池田氏に敗死しました。江戸時代の享保年間(1716~1736)に、墓石が高槻城内で発見され、当寺に移されたと伝えられています。

伊勢寺の問い合わせ先

伊勢寺(高槻市奥天神町1-1-19)
電話:072-681-3284

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