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12.古曽部入道 能因

嵐吹く 三室の山の 紅葉葉は 龍田の川の 錦なりけり 『後拾遺和歌集』
 

能因法師画像(伊勢寺蔵)

上記の和歌は、百人一首にも選ばれているみなさんおなじみの能因法師の和歌です。

能因法師は、俗名を橘永(たちばなの ながやす)といい、長和2年(1013)、26歳で出家。和歌を当時の第一人者・藤原長能に学びました。
高槻の古曽部に住居を構えて古曽部入道とも称し、歌学書『能因歌枕』、自撰家集『能因法師集』などの著作があります。

能因は、伊予・三河・陸奥など、諸国を旅しながら優れた作品を残しました。

能因法師画像(伊勢寺蔵)

一流の歌人として人びとに親しまれ、岩沼(現宮城県岩沼市)を訪れた時には、幹が根元から二股に分かれた武隈(たけくま)の松がかつてあったという所をみて「武隈の松はこのたび跡もなし千歳を経てや我は来つらむ」という歌を詠みました。のちの江戸時代、松尾芭蕉もおなじく岩沼を訪れたとき、植え継がれた松を目にし、能因の歌にちなんで「桜より松は二木を三月越し」という句を詠んでいます。

古曽部町三丁目には、能因の墓と伝えられている能因法師墳があります。高さ約1.8メートルの小さな塚で、木立に覆われており、通称「能因塚」と呼ばれています。塚の脇には、慶安3年(1650)に高槻藩主・永井直清が建てた石碑があり、林羅山による顕彰文が刻まれています。

塚の周辺には、能因の歌を埋めたとされる「文塚」、名水として名高かった「不老水」「花の井」があり、「伝能因法師墳附文塚、不老水、花の井」として昭和60年7月に市の史跡に指定されています。

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伝能因法師墳

伊勢寺・能因塚コース

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